小説「新・人間革命」 6月18日 敢闘13

山本伸一は、中部第一総合研修所に到着した七月二十三日の夜、同研修所内に完成した三重記念館の開館記念勤行会に出席した。
 この勤行会でも、「人間革命の歌」の熱唱が響いた。
 歌が出来上がり、聖教新聞紙上に歌詞と楽譜が発表されたのが、十九日である。それから五日しかたっていなかったが、既に、全国津々浦々の同志が、「人間革命の歌」を、声高らかに歌い始めていたのである。
 勤行会で、伸一は、記念館の意義に言及していった。
 「牧口先生、戸田先生がいらっしゃったからこそ、私どもは、仏法に、御本尊に巡り合い、御書を教わることができました。
それによって、地涌の菩薩としての、この世の尊き使命を知り、絶対的幸福への大道を歩むことができました。
 その両先生の御遺徳を偲び、弟子の誓いを新たにしていくための記念館です。
 また、記念館のなかには、十畳ほどの小さな和室がありますが、そこには、牧口先生、戸田先生の位牌も安置したいと思います。
そして、共に、懇ろに唱題し、師弟不二の、三世にわたる一段と強い生命の絆を、結んでまいろうではありませんか」
 戸田城聖は、師の牧口常三郎の写真を飾った、学会本部の恩師記念室ともいうべき部屋で、常に、牧口を偲び、誓いを新たにして、広宣流布の大願に生き抜いてきた。
 伸一もまた、学会本部に掲げた戸田の写真に語りかけ、誓いながら、広宣流布の戦いを起こしてきた。
 遺影の前で、人知れず悔し涙を流した夜もあった。苦闘に呻吟しながら、負けるものか! 先生の弟子ではないか!と、自らを鼓舞したことも、幾度となくあった。
 心の師がいるということは、わが生命を照らす太陽をもっているということだ。絶望の暗夜にも、希望と勇気の燦々たる光が昇る。
 伸一は、三重の同志に、師弟共戦の師子として立ってほしかったのである。