小説「新・人間革命」 6月23日 敢闘17

厚田村」のテープを二回聴くと、山本伸一は、皆に語りかけた。
 「『厚田村』の詩は、私が二十六歳の時に作りました。戸田先生と一緒に厚田村を訪ねた折、この偉大な先生を讃えたい。その存在を世界に知らしめたいとの思いから、一気に書き上げた詩なんです。
 詩のなかに、『少年動かず 月明かり』とあるのは、戸田先生の向学の心をうたったものです。
同時にそれは、学生部の諸君の姿でもある。今は、あらゆることを、学んで、学んで、学び抜くんです。学は力、学は光です」
 それから伸一は、じっと、一人ひとりに視線を注いだ。
 「戸田先生は、石川県に生まれ、やがて一家は、北海道の厚田村に移ります。そこは、ニシン漁で栄えた村でしたが、漁獲量の変動が激しく、やがて衰退していきます。
 先生は、貧しい村で、お父さん、お母さんが、必死で働く姿をご覧になって育った。
 そして、自分が力をつけ、立派になって、両親に楽をさせたい”“なんとしても、社会に貢献したい。人びとを幸せにしたいと、月明かりで、猛勉強するんです。
 諸君のお父さん、お母さんも、多くが貧しい暮らしのなかで、懸命に働き、信心に励み、君たちを育ててきたのではないかと思う。
 権力も、財力もない、その庶民が、人びとを救うために、広宣流布に立ち上がったんです。さまざまな非難や中傷を浴び、食べる物もないなか、身骨を砕き、時には、何キロと歩き通しながら、折伏してきた。
 じっとこらえて、今に見ろ!との思いで、歯を食いしばりながら、今日の学会をつくってくださったんです」
 創価学会は、無名の庶民の団体である。それゆえに、清く、尊く、強いのである。
 伸一は、力を込めて訴えた。
 「そのお父さん、お母さんが、わが子に期待を託し、大学に行かせてくれた。ありがたいことではないですか。その感謝の心、報恩の心を、絶対に忘れないでいただきたい」