小説「新・人間革命」 6月25日 敢闘19

山本伸一は、学生部員たちの顔を見渡しながら、こう提案した。
 「今日、一緒に『厚田村』の歌を聴いたこのメンバーを、『学生部厚田会』としてはどうだろうか。
生涯、どんな立場になっても、折々に、この研修所に集まって、この『厚田村』を歌い、私たちの恩師である戸田先生を偲んで、誓いを新たにしていってはどうかと思う。賛成の人?」
 皆が、「はい!」と言って手をあげた。
 伸一は、さらに話を続けた。
 「牧口先生は、小学校の校長でしたが、常に信念を貫いたことから、権力者ににらまれて、学校を追われています。
迫害の連続でした。その牧口先生を、一貫して守ってこられたのが、戸田先生でした。留任運動の先頭にも立って戦っています。
 また、戸田先生が、私塾・時習学館を開いたのも、牧口先生の教育学説を、弟子の自分が実証しようとの思いからでした。
さらに、将来、牧口先生の本を出したい、そのための資金も自分が用意しようと心に決めて、懸命に働いてこられた。
 その戸田先生が、牧口先生には、本当によく叱られたと言います。戸田先生は、自分を全力で訓育してくれる師に深く感謝し、牧口先生に付き従われた。
そして、軍部政府の弾圧と戦い、牢獄にまでも、お供されることになる。それが師弟です」
 世間の多くは、謹厳実直な牧口を、世事に疎い、一徹者の老人と見ていたようだ。しかし、戸田は、牧口に仏を見ていたのだ。人類の救済を宿願とする師匠の大生命を、一心に見すえていたのである。
 常不軽菩薩は、会う人、会う人に、「我深敬汝等」の二十四文字の法華経を唱え、礼拝・讃歎して歩いた。一切衆生の仏性を見すえていたからである。
 仏法の眼を開いてこそ、眼前の現象に惑わされることなく、深い生命の本質を見ることができる。仏法の師弟の道は、信心の眼によってこそ、見極められるのである。