小説「新・人間革命」 7月1日 敢闘24

山本伸一の言葉は、参加者の魂に、深く突き刺さっていった。
 「学会は、世界でただ一つの、純粋なる真実の仏意仏勅の教団です。それゆえに、御聖訓に照らして、邪悪の徒らによって、攪乱されるような事態を迎えるかもしれない。
 しかし、鳳雛会の諸君が、地中で竹が根を張り、深く結び合っているように、強く結合し、団結して立ち上がり、広宣流布を進めていっていただきたい。
 もしも、今後、創価学会の前進が、一歩でも、二歩でも、後退するようなことがあったならば、その全責任は諸君にある。諸君が、だらしないからである。一切は、諸君の責任であることを、今日は、宣言しておきます」
 それは、伸一の生命の叫びであり、広宣流布の厳粛な付嘱の儀式を思わせた。
 どの顔も、緊張していた。固唾をのみ、ぎゅっと拳を握り締める青年もいた。
 「諸君は、創価学会の真実の子どもです。本当の私の弟子であり、学会の王子ともいうべき存在です。その王子が、無慈悲であったり、意気地がなかったりしたならば、かわいそうなのは学会員です。民衆です。
 まずは、次の十年をめざし、創価学会の一切を引き受け、全責任を担うとの精神で、雄々しく、進んでいっていただきたい」
 伸一と共に、この大会に出席していた最高幹部たちは、ただ、驚いて、彼の指導を聞いていた。
鳳雛会のメンバーは、この時、年齢的にも、役職的にも、まだ創価学会の全責任を担うような立場ではなかったからである。
 しかし、伸一は、自身の体験のうえから、本気になって立ち上がるならば、年齢や立場に関係なく、彼らは、学会の全責任を担い得ると確信していたのである。
 師の戸田城聖が、事業の破綻から、学会の理事長を退いた時、伸一は、必ず、先生に会長として広宣流布の指揮を執っていただくのだ!と心に決め、ただ一人、厳然と師を守り、師子奮迅の戦いで活路を開いていった。それが、二十二歳の時であった。