小説「新・人間革命」 7月2日 敢闘25
その伸一の激闘によって、難局を乗り切った戸田は、晴れて、第二代会長として、広宣流布の指揮を執ることになるのである。
この戦いによって、戸田が会長就任式の席上、生涯の願業として掲げた、会員七十五万世帯達成への突破口が開かれたのである。
伸一は、いまだ年も若く、全学会を率いる立場ではなかった。しかし、戸田の構想の実現を、わが使命と定め、組織の一角から、未聞の大勝利という烽火を上げ、広宣流布の突破口を開き続けてきたのである。
年が若いから、立場を与えられていないから、権限がないから、時間がないから……など、力を発揮できない理由をあげれば、常に、枚挙にいとまがないものだ。
広宣流布という仏意仏勅の使命と責任を果たしゆくには、年齢や立場など、問題ではない。大宇宙を己心にいだく信心の世界、仏の世界では、そんなことは、なんら障壁とはならない。
それらを理由に、力が発揮できないという考えにとらわれた時、自らの無限の可能性を放棄してしまうのだ。それこそが、魔に敗れた姿である。
要は、師弟不二の自覚と祈りと実践があるかどうかである。それを実証してきたのが、ほかならぬ伸一であった。
彼は、二十六歳で青年部の室長になると、実質的に学会の全責任を担った。
一九五六年(昭和三十一年)、二十八歳の時には、関西の地にあって、一支部で一カ月に、一万一千百十一世帯の弘教を成し遂げるなど、常勝関西の不滅の金字塔を打ち立ててきたのだ。