小説「新・人間革命」 7月7日 敢闘29
埼玉を、しばしば訪れた一九五〇年(昭和二十五年)――山本伸一は、十二月の日記に、こう記している。
「苦闘よ、苦闘よ。
汝は、その中より、真の人間が出来るのだ。
汝は、その中より、鉄の意思が育つのだ。
汝は、その中より、真実の涙を知ることが
できるのだ。
汝よ、その中より、人間革命があることを知れ」
“風を受けてこそ、凧は天高くあがる。試練の烈風あってこそ、自身の境涯は高まる”
そう考えると、伸一は燃えた。
“必ず、逆境を跳ね返してみせる!”
彼は、捨て身の闘争を続けた。
その不撓不屈の努力が実り、遂に、翌五一年(同二十六年)、闇を破り、旭日が昇った。五月三日、戸田城聖の第二代会長就任の日を迎えるのである。
いわば、埼玉は、新生・創価学会の出発に至る、反転攻勢の天地なのだ。
また、五五年(同三十年)二月、ある全国紙の埼玉版で、学会に対する中傷記事が掲載された。渉外部長であった伸一は、青年を伴い、その新聞の本社を訪れ、厳重抗議した。
さらに、浦和支局にも足を運んだ。礼儀正しく、理にかなった伸一の指摘に、支局長は、非を認めた。しかし、訂正は、なかなか掲載されなかった。
伸一は、二週間後に、再度、支局を訪問し、交渉にあたった。あいまいなまま終わらせては、問題の解決はない。大事なのは、決着への執念と、情熱の対話だ。
そして、誤りの部分を直した記事とともに、学会側の反論も掲載されたのである。
これによって、デマが打ち破られたのだ。
正義のためには、一歩たりとも引かぬ、炎のごとき学会精神を、伸一は、自らの行動をもって、埼玉の地に刻んできたのである。