小説「新・人間革命」 7月8日 敢闘30
山本伸一は、力を込めて訴えた。
「私は、埼玉の天地に、幾つもの闘争の歴史と学会の精神をとどめてきました。それらの精神を受け継ぐ、民衆凱歌の文化祭にしてほしい。
本当は、練習も見に行って、一人ひとりと握手し、『頼むよ』と言って、励ましたいんだ。その時間はないが、皆で力を合わせて、新生・埼玉の勝利の扉を開く文化祭にしてください。
大成功させて、共に肩を叩き合って、喜び合おうよ!」
「はい!」
決意に燃えた瞳を輝かせながら、埼玉の青年が答えた。すると、その後ろにいた、東京の青年が、身を乗り出すようにして語った。
「先生。東京も、九月五日に文化祭を行います。必ず、大成功させます」
伸一は、微笑を浮かべ、埼玉のメンバーを見ながら言った。
「ほら、埼玉が燃えると、東京も負けじとばかり、張り切りだすんだよ。東京が動けば、全国が、全世界の広宣流布が動きだす。その原動力こそ、埼玉だよ。埼玉は二十一世紀の王者だ」
そして彼は、東京の青年に視線を注いだ。
「学会本部のある本陣・東京は、その底力を全国に示し、“さすが東京だ”“やっぱり東京だ”と言わしめる文化祭にしてほしい。
東京は、どんな活動に際しても、学会員が多いだけに、自分が本気になって頑張らなくても、なんとかなるなどと思ってしまいがちだ。しかし、そうした感覚に陥ることこそが“魔”に負けた姿だ。
心のどこかで人を頼み、“一人立つぞ!”と決めなければ、本当の力は出ない。
すべての力を出し尽くし、自分を完全燃焼させてこそ、仏道修行なんです。
大聖人は、師子王の戦いについて、『あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき事なり』(御書一一二四ページ)と仰せになっているではないですか!」