小説「新・人間革命」 7月10日 敢闘32

 山本伸一は、気迫のこもった声で、大阪の青年に語った。
 「いよいよ、弟子が立ち上がる時代だよ。
 私が、大阪の戦いを開始したのは、昭和三十一年(一九五六年)一月です。
ただただ、戸田先生がお元気なうちに、広宣流布は、必ず弟子の手で成し遂げられるという、一つの実証をご覧いただき、安心してもらおうとの思いで戦いました。それが弟子です。
 みんなの力で、私が出席した以上に、意気軒昂で、大歓喜が爆発する文化祭にしてください。それができてこそ、本当の弟子です。じっと見守っています」
 その時、後列から声がした。
 「先生、東北も頑張ります! 東北では、二十日に、秋田文化祭を大成功に終えました。
 これから、二十四日に青森、二十五日に宮城、二十七日に山形、二十九日に福島、九月の九日には、岩手で文化祭を開催する予定になっております」
 「わかっているよ。今回は、東北には行けませんが、大成功を祈っています。
 かつて私は、広宣流布の総仕上げを東北の同志に託した。それは、総仕上げを成し遂げていくには、東北人のもつ粘り強さが必要だからです。
総仕上げの時に油断があれば、『九仞の功を一簣に虧く』ことになってしまう。
 粘りとは、大聖人が命に及ぶ大難に遭われながらも、『然どもいまだこりず候』(御書一〇五六ページ)と宣言された、あの不撓不屈の一念です。
『いよいよ・はりあげてせむべし』(同一〇九〇ページ)と叫ばれた、一途に前進し抜く敢闘精神です。追撃の力です。そういう心意気がたぎる文化祭にしてください」
 それから伸一は、集った青年たち一人ひとりに、じっと視線を注いだ。
 「戦おうよ。限りある一生だもの。得がたい生涯だもの。悔いなど、絶対に残してはならない。生命を燃焼させ尽くし、永遠の思い出となる、青春の勝利の詩を綴るんだよ」
 樹間を一陣の風が吹き抜け、木々の葉が揺らめき、微笑んだ。