小説「新・人間革命」 7月12日 敢闘33

使命に生き抜く人は、人生の勝利者である。広宣流布の高き峰をめざして、常に前へ、常に未来へと進みゆくなかに、歓喜あふれる、真の幸福の大道がある。
 山本伸一は、八月の二十三日には、九州総合研修所で行われた、壮年・男子部からなる人材育成グループである「転輪会」の総会に臨んだ。
そうした諸行事の寸暇をぬうようにして、研修所内を回り、行事の参加者や役員の激励に余念がなかった。
 彼は、周りの幹部たちに尋ねた。
 「ほかに励ます人はいないのかい。ここにいられる時間は、限られている。だから、一人でも多くの人と会って、全力で激励しておきたいんだよ」
 すると、九州の婦人部の幹部が言った。
 「鹿児島の奄美諸島にある喜界島から、婦人が来られています。草創期から頑張ってこられた富島トシさんという方です」
 「お会いしよう。お呼びしてください。一緒に、勤行しましょう」
 喜界島は、奄美大島の東方約二十五キロに位置する、美しい珊瑚礁の島である。島の主な産業といえば、サトウキビ栽培や大島紬であり、人びとの暮らしは慎ましやかであった。
 富島トシの夫は、終戦を迎える一九四五年(昭和二十年)の五月、九歳の長男、六歳の次男、二歳の長女を残して、心臓発作で他界した。しかも、トシは、四人目の子どもを身ごもっていたのである。
 しかし、途方に暮れる余裕さえなかった。子どもたちを育てるために、がむしゃらに働かなければならなかったからだ。大島紬を織り、畑を耕して、サツマイモ、大根、麦、粟などを作った。他家の農作業も手伝った。
 長男、次男が中学を卒業し、ホッとしたのも束の間、不幸が襲った。仕事に行き詰まった次男が、自ら命を絶ったのだ。彼女は、生きていく希望を失い、日ごとに痩せ衰えていった。
 荒れ狂う宿命の怒濤――だが、それに打ち勝つために、「変毒為薬」の仏法があるのだ。
 
■語句の解説
 
◎変毒為薬
 変毒為薬は、「毒を変じて薬と為す」と読む。苦しみの生命(毒)が、そのまま幸福の生命(薬)に転ずる、妙法の大功力を表した言葉。宿命転換の意義にも用いる。