小説「新・人間革命」 7月13日 敢闘34

富島トシが、創価学会の信心の話を聞いたのは、東京から里帰りした、蒲田支部に所属する友人からであった。
 「トシさんも大変だったね。でも、正しい仏法を持てば、必ず幸福になれる。いつまでも、不幸に泣いていることはないのよ」
 その確信にあふれた言葉に、信心してみようと思った。一九五六年(昭和三十一年)のことである。
 喜界島は、周囲が五十キロほどの、人口約一万六千人(当時)の島であった。
 富島の家は、飛行場や港に近い、湾集落にあった。島の反対側にある嘉鈍集落に、もう一軒、小岩支部に所属する学会員の家があったが、彼女は全く知らなかった。
 入会して、しばらくすると、鹿児島から、青年部の幹部が指導に来た。勤行の仕方や、折伏の大切さなど、諄々と語ってくれた。
 「宿命を転換し、幸福になるためには、どげんすればよいか――。
 日蓮大聖人は、『我もいたし人をも教化候へ』『力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし』(御書一三六一ページ)と仰せです。
つまり、懸命に題目を唱え、折伏することです。自分だけの幸せを願う信仰は、本当の信仰じゃなかです。みんな一緒に幸せになってこそ、自分の幸せもある。
 また、折伏に行っても、そげん、難しいことは言わんでもよかです。初めは、なぜ信心をしたか、仏法のどこに共感したかを、精いっぱい訴えて歩くんです」
 自他共の幸せを実現していく――これまでの宗教では、聞いたこともない教えである。
 富島は、奮起した。
 この信心で、幸せになろう!
 彼女は、真剣に唱題に励み、弘教を開始した。知り合いという知り合いに、仏法を語って歩いた。しかし、創価学会のことは、誰も知らないうえに、島の旧習は深く、素直に仏法の話に耳を傾ける人は少なかった。
 トシは、変な宗教に騙されて、おかしくなってしまった――人びとは噂し合った。