小説「新・人間革命」 7月16日 敢闘37

富島トシの家は、喜界島広布の拠点となってきた。ここでの座談会などで、多くの人が入会し、発心した。また、明るく、面倒みのよい人柄の彼女は、“喜界島のお母さん”と、皆から慕われるようになっていった。
 同志が、功徳を受けた、弘教が実ったと、報告に来ると、「はげー(あらまあ)、よかった!」と、お日さまのように、満面に笑みを浮かべ、わがことのように喜ぶのである。
 同志の激励となれば、相手が納得し、立ち上がるまで、何度も、何度も、足繁く通った。決して、あきらめようとはしなかった。
 “皆、尊い使命をもって、この世に生まれてきた仏子だ。皆が幸せになれるんだ! そのことを自覚させずに、途中でやめてしまうとしたら、あまりにも無慈悲だ”
 それが、彼女の信念であった。
 富島は、いつも、“山本先生が喜界島を訪問される時には、どうやって迎えようか”と考えていた。彼女は、家を建てる時、玄関を二つ造ってもらった。
その一つの玄関は、直接、客間につながるようになっていた。伸一が来島した時に、宿泊するための部屋として用意していたのだ。
 彼女の心には、広宣流布の師匠として、常に伸一がいた。“いつ先生を迎えても、勝利の報告ができるように”と、日々、真剣勝負で活動に取り組んできた。
 子どもたちは、次々と島を出て行った。皆、独り暮らしの母を心配した。
 だが、彼女は、深く決意していた。
 “私には、喜界島広布の使命がある。だから、動けるうちは、ここにおる。島中の人が幸せになるまで、戦いはやめられん”
 彼女は、よく、悩みをかかえ、苦闘している島の同志に、こう語って励ました。
 「苦しいと思った時が勝負だよ。厳しい冬の次に待っているのは、春なんだ。信心で打開できない問題なんてないよ」
 それは、幾つもの体験を通して、生命でつかんだ、彼女の実感であり、確信であった。
 炎のごとき確信こそが、励ましの魂である。