小説「新・人間革命」 7月20日 敢闘40

日本の宗教社会学の第一人者として知られた安齋伸博士は、一九六三年(昭和三十八年)から、奄美諸島や沖縄の島々を歩き、宗教・社会調査を行っている。
 そこで、喜々として活躍する創価学会員の姿に触れ、広宣流布の広がりに、目を見張ったという。
 そして、こう結論する。
 「彼らは入信前、例外がないほどに人生苦をなめ、苦労を重ねてきているが、その人生経験から、折伏への批判と攻撃にめげず千波、万波と折伏を続ける力と一般庶民の生活関心との自ずからなる接触の能力を得たように思われる」(注1)
 「創価学会の指導者にはこのように厳しい人生苦とそれからの救いの功徳体験に裏打ちされた生命力と信仰、そして指導者としての教学研究への熱意、功徳体験からの人びとへの説得力が窺われたのである」(注2)
 まことに鋭い分析である。
 功徳の体験という、実証に裏づけられた信仰への「確信」と「生命力」と「教学」――そこからほとばしる、人びとを救わんとする情熱こそが、われらの広宣流布運動の原動力である。
 翌八月二十四日は、山本伸一の入信二十九周年の記念日である。一九四七年(昭和二十二年)のこの日、十九歳の伸一は、戸田城聖の門下となり、仏法を持ったのである。
 また、八月二十四日は、創価学会として、初めて迎える「壮年部の日」であった。
 「壮年部の日」は、この七六年(同五十一年)の六月五日に、伸一が出席して行われた、副会長室会議で決定したものである。
 八月二十四日という日には、伸一の忘れがたい思い出が刻まれていた。この日は、彼の入信記念日であるだけでなく、生涯、戸田の弟子として、久遠の師弟の道に生き抜くことを、深く決意した日であったのである。
 ――入信三周年を迎えた五〇年(同二十五年)のこの日に、戸田は、学会の理事長辞任の意向を、発表したのである。
 
■引用文献: 
注1、2 安齋伸著『南島におけるキリスト教の受容』第一書房