小説「新・人間革命」 7月21日 敢闘41

一九五〇年(昭和二十五年)夏、戸田城聖の経営する信用組合は、完全に行き詰まり、業務停止のやむなきに至った。
 戸田は、戦後、会長不在のなか、理事長として、学会再建の責任を担ってきた。だが、これ以上、その理事長を続けるならば、事業破綻の波紋は、学会にも及びかねなかった。
 それだけは、なんとしても避けねばならぬと考えた戸田は、八月二十四日、東京・西神田の学会本部で法華経講義を行ったあと、理事長を辞任することを告げたのである。後任の理事長も発表された。
 夢にも思わなかった突然の事態に、参加者の戸惑いは大きかった。
 山本伸一も、動揺を隠せなかった。
 "創価学会は、そして、広宣流布は、どうなってしまうのか……"
 彼は、戸田に尋ねた。これから自分の師匠は新理事長になるのか、と――。
 戸田は、明確に答えた。
 「いや、それは違う! 苦労ばかりかけてしまう師匠だが、君の師匠は、ぼくだよ」
 伸一は、この一言を、全生命で確かめたかったのである。彼の胸には、言いしれぬ喜悦がほとばしった。
 "ぼくの師匠は、先生なんだ。先生なんだ。これでよし!"
 彼は、この日、戸田を生涯の師匠と定め、守り抜くことを誓ったのである。
 伸一も既に壮年となった。彼は、全壮年部員が、自分と同様に、師弟共戦の誓いを立て、生涯、広宣流布の大目的に生き抜いてほしかった。
そこに、無上の人生道があるからだ。また、そうなれば、学会は盤石であり、永遠に栄えゆくことは間違いないからだ。
 壮年には、力がある。一家の、社会の、学会の黄金柱である。そして、広宣流布の勝敗を決していくのは、壮年が、いかに戦うかにかかっている。
ゆえに伸一は、この八月二十四日を、「壮年部の日」にしたいという壮年からの提案に、全面的に賛成したのである。