小説「新・人間革命」 7月22日 敢闘42

八月二十四日は、初の「壮年部の日」を記念して、東京・八王子市の創価大学や、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂などで、祝賀の集いが行われたほか、全国各地で、総ブロックごとに記念の部員会が開催されていた。
 山本伸一は、この日、九州総合研修所で、諸行事の運営役員らと、記念のカメラに納まるなど、終日、メンバーの激励を続けた。
 彼にとっては、深い意義を刻む、大切な記念の日である。だからこそ、広宣流布のための最も大切な仕事をしたかった。
 その結論が、仏子である同志を励ますことであった。そして、研修所を守り、尽力してくれているメンバーを、激励することに総力を注いだのである。
 一人ひとりの同志と対話し、励ましを送る――それは、地味な、なんの変哲もない作業である。しかし、それこそが、広宣流布を推進する原動力となるのだ。
 励ましは、組織の血流である。その脈動があってこそ、皆が生き生きと活動に励むことができる。
励ましを忘れれば、組織は形骸化する。そうなれば、歓喜も、確信も、広宣流布の息吹も、損なわれていく。絶えざる激励こそが、前進の活力となるのだ。
 研修所の一角には、伸一が若き日にひとり暮らしをした、東京・大田区大森にあったアパート「青葉荘」の部屋が再現されていた。
福岡のメンバーが、山本先生に青春時代を思い起こし、心を和ませていただきたいとの思いで、つくり上げたものであった。
 伸一は、峯子と共に、この展示を観賞した。
 彼が、「青葉荘」に住んだのは、戸田城聖の出版社に勤めて、四カ月余が過ぎた一九四九年(昭和二十四年)五月、二十一歳の時のことであった。
 再現された部屋には、伸一が使っていたものとほぼ同じ、タンスや机、蓄音機などが置かれ、本棚には、かつて読んだ哲学書や文学書なども、そろえられていた。
 伸一は、峯子に言った。
 「懐かしいね。みんなの真心が嬉しいね」