【第20回】  「共戦」の魂は永遠! 神奈川  2010年 6月5日

どんな時も「一人立つ精神」
 
 会合のさざめきが、会館内に響いていた。
 じっと聴いていた池田名誉会長は、会合の進行を妨げないように、会場前方の扉から、そっと入場した。
 「先生!」。気づいた友が歓呼の声をあげる。すると、名誉会長は「私は話してはいけないことになっているから」と、口に人さし指を当てた。そして、会場内にあるピアノへ。
 「熱原の三烈士」「厚田村」、決戦に臨む父子の誓いの曲楠公……。
 名誉会長の「心」が力強い調べとなって、友の心のひだまで染み込んだ。
 「先生はピアノで師子吼されていると感じました。『一緒に生きて生きて生き抜こう!』と」(稲富久美子東海道婦人部総主事)
 名誉会長は演奏を終えると静かに会場を後にした。
 昭和54年(1979年)4月に開館したばかりの神奈川文化会館で、幾度となく見られた光景である。
 同会館は、第3代会長辞任の本部総会の後、名誉会長が向かった場所。ここで海を見つめながら世界広布の指揮を執った。今、192カ国・地域の友が、喜々として訪れる。
 当時は、第1次宗門事件の嵐の真っただ中。卑劣な輩どもは「先生と呼んではいけない」「会合で指導してはいけない」「聖教新聞に出てはいけない」と押しつけた。名誉会長と会員の絆を断ち切るためだった。
 だが、身は縛られても、心は誰人も縛れない。
 名誉会長は、嵐に不動の大山の如く泰然自若。新しい創価学会をつくる、渾身の激励の日々。「私が名誉会長になろうと、師弟の絆は永遠に変わらない」と。
 焦点は、次代を担う青年の育成。今年、結成30周年を迎えた「神奈川成人会」も、その一つ。名誉会長は「21世紀を画する大切な人たちである。仏法興隆と学会の前進を画する人たちである」と全魂を込めた。
 心は見えない。が、名誉会長の「心」は、一人一人に確実に伝わっていった。
 
 昭和59年(84年)9月9日、雨の神奈川青年平和音楽祭。2万人の若人が降りしきる雨をものともせず、「平和の心」「共戦の心」を誇らかに歌い上げた。
 熱演を讃える名誉会長。その席にも雨が滝のように降り注ぐ。周りが傘を掲げると「いらない!」と断った。「身」も「心」も、雨中の青年たちと一体だった。
 「やはり違う。本物だ。すごい人だ」。その姿を見ていた来賓の一人は驚嘆した。26年後の今も鮮やかに覚えているという。
 音楽祭は宣言した。「創価の師弟は、いかなる艱難辛苦にも絶対に屈しない」と。試練の雨は、はからずも、最高の演出となった。
 激しい雨で、音楽祭は演目の途中で終了した。その2カ月後。名誉会長は、演技を披露できなかったメンバーを創価大学に招待し、学生と共に鑑賞している。
 青年たちは今、神奈川広布の中核として活躍する。
 
 昭和54年5月3日の夜、名誉会長は神奈川文化会館で墨痕鮮やかに認めた。
 「共戦」
 脇書に「生涯にわたり/われ広布を/不動の心にて/決意あり/真実の同志あるを/信じつつ」と。
 当時、会館の1階ロビーには、一枚の大きな絵画が飾られていた。
 ――街の中を悠然と流れる「川」。そこにかかる橋の上に、一人の人物が厳然と立っている――
 名誉会長は、この絵を見ながら青年に語った。
 「どんな時でも『一人立つ精神』が大事なんだ!」
 共戦とは、師と同じ心で、一人、決然と立ち上がることだ。「一人立つ精神」こそ新時代を開く力であり、神奈川の友の真骨頂である。