【第21回】 北海道 誉れの「三代城」  2010-6-11

「人生も社会も 勝ってこそ幸福」
 
 夏が来る。
 空も大地も、我らの命も、喜び燃え立つ夏が来る。
 北海道の夏。それは「弟子が、勝って師匠に応えた」栄光の舞台であった。
 平成4年(1992年)夏。空前の拡大と勝利に、全道の喜びが爆発した。
 「難攻不落の三代城」――前年8月、函館での池田名誉会長の提案から永遠の指針の一つが生まれていた。
 「三代城」の誇りと使命感は、勢いを倍加する。師弟を引き裂こうとする、宗門の陰謀をも蹴散らした。
 8月29日、その名も「大勝利総会」に名誉会長が出席し、祝福を贈った。
 「人生も家庭も社会も、『勝ってこそ幸福』です」
 「創価学会の先駆の北海道、万歳!」
 翌30日、名誉会長は、厚田の戸田記念墓地公園に足を運ぶ。札幌で、小説『人間革命』第12巻の「寂光」の章を書き上げ、恩師の故郷に向かったのである。
 戸田第2代会長の逝去と葬儀を描いた章である。
 名誉会長が『人間革命』を書く決意を本格的に固めたのは、昭和29年(54年)8月10日に始まる北海道初訪問。
 師54歳。弟子26歳。この、師弟同道の厚田への旅から、38年が流れていた。
 名誉会長は語りかけた。
 「私は、この戸田墓園に来て、書き上げたことを先生にご報告したんです。きちっと、『師弟の儀式』を踏んでいるのです」
 師を思う一念の深さに、友は、粛然と襟を正した。
 あの厚田からの帰り、戸田会長は託していた。「大作、広布のために、多くの友をつくってくれよ」「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ」――と。
 師の遺言を抱きしめ、青年は、北の大地を走った。
 小樽問答の完勝。札幌の夏季地方折伏で、全国一の拡大。夕張で、信教の自由を守るために、炭労に立ち向かった。北海道は、まさに青春の古戦場であった。
 
 恩師と初めて北海道に着いた日、8月10日を選んで、名誉会長はその後2度、来道している。
 1度目は昭和58年(83年)。第3回世界平和文化祭に出席するためである。
 6万人が集った祭典は8月14日、札幌の真駒内屋外競技場で行われた。
 午後0時59分。開会まで約1時間。焼け付く太陽。会場の温度は35度に達した。
 突然、正面スタンドの隅から、ざわめきが起こる。
 右手の帽子を大きく振りながら、名誉会長がフィールドを歩き始めた。
 炎熱の中、労いの声をかけながら場内を一周。
 大歓声の波が、スタンド全体を駆け巡った。
 全道の青年部が、仕事や学業の時間をこじあけて取り組んだ、熱演また熱演。
 「本当にありがとう。満点です!」と名誉会長。
 この時の出演者、役員こそ、「三代城」の建設を担う、広布の中核となった。
 2度目の8月10日は、平成6年(94年)である。
 この日、中標津への機中で、名誉会長は、創価高校野球部の「甲子園初勝利」の報を聞く。空に「Vサイン」の雲が浮かんでいた。
 別海の北海道研修道場で、名誉会長は語った。
 「北海道は、このVサインを象徴として前進しましょう!」「『北海道さえあれば、学会は永遠なり』という『難攻不落の三代城』を築いていってください」
 勝利は朗らか!
 勝利はさわやか!
 あの夏、そしてこの夏も、三代城に「勝利」の旗は、光り輝く!