【第4回】 勇気(上) 2010-3-28

御聖訓 日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず
 
君よ 師子王の心で立て
師弟不二こそ無上の勇気の源泉
「はつらつたる女子部の振る舞いは地域の太陽です。皆に希望を贈る光です」
 
社会悪の元凶―「畜生の心」を打ち破れ
 
正義を叫ぶのが真の慈悲
 
佐藤青年部長 この3月、青年部は弘教と友情の対話を全力で広げました。多くの新入会者も誕生しております。 いよいよ、池田先生の第3代会長ご就任50周年の「5・3」へ、青年の正義の大連帯を最大に築き上げてまいります。
 
池田名誉会長 ありがとう! 若き君たちの熱と力で、水平線から朝日が昇るように、新しい時代が到来しました。 日蓮大聖人が、どれほど、お喜びであられるか。 御聖訓には、「一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」(御書1448ページ)と仰せです。 広宣流布のため、立正安国のため、声を惜しまず語る。これほど崇高な青春はない。
 
熊沢女子部長 先生の御指導の通り、祈って、動いて、語れば、必ず道が開けます。 広島県のある部長は、常に明るいあいさつを心がけてきました。ある日、通勤のフェリー乗り場でいつも会う方から、「どうしてそんなに明るいのですか」と声をかけられました。そこで彼女は勇気を出して、「私は創価学会員です。だから、いつも元気なんです!」と堂々と答えました。するとその方は「私も、ぜひ、あなたみたいになりたい。学会について教えてほしい」と言ったそうです。 これには彼女のほうが驚きました(笑い)。そこから対話が始まり、先月、この友人は晴れて入会しました。
 
名誉会長 素晴らしい。はつらつとした女子部の振る舞いは、地域の太陽であり、社会の太陽です。殺伐とした時代にあって、皆の心に明々と希望と勇気を贈る光です。
 
佐藤 今、新入会の友からも、「信心をして、明るく、前向きな自分に変わっていくのを日々、実感しています」等と、喜びの声がたくさん届いています。
 
名誉会長 うれしいね。それが「初信の功徳」です。温かく面倒を見てくれる先輩たちの功徳も、大きい。 ともかく、信心は「勇気」です。かけがえのない青春を、悔いなく勝ち抜いていく原動力も、勇気である。その勇気を無限に発揮していけるのが、日蓮仏法なのです。
 
熊沢 はい。そこで今回は「勇気」をテーマに、御書に仰せの「師子王の心」、また「池田華陽会歌」で歌われている「太陽の心」について、お伺いしたいと思います。
 
名誉会長 大文豪ゲーテは綴った。 「勇気を失ったのは――すべてを失ったことだ!」 個人であれ、団体であれ、勇気がなければ、厳しい現実に勝てない。時代の濁流に呑み込まれてしまう。 「師子王の心」「太陽の心」――これが学会精神です。この心で、学会は社会に勇気凛々と打って出てきた。だから勝ったのです。 大聖人は、「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(御書1282ページ)と断言なされています。
 臆病であれば、どんなに偉大な仏法を持っていても、何事も成就しないと、大聖人は厳しく戒めておられる。
 
御書の通りの大難
佐藤 対話に挑戦するヤング男子部のメンバーから、「勇気が大事だとわかってはいるんですが、なかなか勇気を出すことができません。どうしたらいいでしょうか」との質問がありました。
 
名誉会長 根本は題目です。「広布のために、勇気を出させてください。相手に真心が通じるように!」と真剣に祈ることです。 そして大事なのは、先輩や同志と一緒に活動することです。一人では、なかなか勇気は出ない。それが人間です。 大変な時は励まし合う。うれしいことがあれば共に讃え合い、前進していく。そのための学会の組織です。 何でもいい。一歩を踏み出すことだ。苦手な人に、笑顔であいさつができた。これも勇気です。「面倒だな」と思うけれども、頑張って会合に参加した。これも勇気です。その一歩から、自身の人間革命も大きく進んでいく。
 
熊沢 「勇気」こそ一生成仏の根本要件であると、先生は教えてくださっています。
 
名誉会長 臆病では、三障四魔を破ることは絶対にできない。恐れる心、臆する心、退く心があれば、そこに魔は付け込み、攻め入ってくる。 いざという時に「師子王の心」で戦い切る。それで初めて仏になれる。このことを、大聖人は命に及ぶ流罪の大難のなか、「佐渡御書」で宣言なされています。
 
佐藤 はい。その御文を拝読させていただきます。 「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(御書957ページ)との仰せです。
 
名誉会長 大聖人は迫害の構図を鋭く喝破されている。すなわち、僭聖増上慢である嫉妬の坊主らと権力の魔性の結託です。この魔の軍勢が、正義の智者を亡き者にせんと襲いかかってくるのです。 その大難の時に、「師子王の心」で戦えるか、どうか。 この一点で、成仏が決まると結論されています。 勇気ある信心こそ「魔」を破る利剣です。
 
佐藤 これまで学会が受けてきた大難も、この御聖訓の通りだったと思います。
 
名誉会長 創価の師弟だけが大聖人に直結して、一閻浮提の広宣流布を進めてきました。だから、御書の通りの難を受けてきたのです。 この佐渡御書の一節には、続いて「例せば日蓮が如し」とも仰せです。いかなる大難があろうと、大聖人の如く「広宣流布」「立正安国」に徹し抜く。 師子となって走り、戦い、叫び、そして勝ちまくっていくのです。ここに学会活動の真髄があります。 末法とは、貪・瞋・癡の三毒が一層強くなっていくとともに、「闘諍堅固」という争いが絶えない時代でもある。だからこそ、断じて強くならなければならない。意気地なしには、正義を実現することはできない。師子でなければ、大勢の善良な人を護ることもできません。
 
増上慢の本質
佐藤 今の世の中には、自分より弱い者に対しては威張り、強い者にはへつらう人間が、あまりにも多いと感じます。 私の大学時代の友人も「会社の上司が、上にはペコペコするのに、部下には威張りちらして大変だよ」と嘆いていました(笑い)。 臆病な迎合や弱い者いじめが、社会の腐敗や不正などを生む元凶となっているのではないでしょうか。
 
名誉会長 その通りです。ですから、佐渡御書では、「師子王の心」と対比して、「畜生の心」を厳しく戒めておられるのです。 「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる当世の学者等は畜生の如し」(同957ページ)とあります。 本来、自らの学識や力を生かして人々に尽くす指導層が、権威をふりかざして威張り、正義の人を迫害する。 それは卑劣な増上慢です。その本質は臆病なのです。 大聖人はその悪逆と戦われました。絶大な権力を持つ為政者に対しても、敢然と「正義に目覚めよ」「真に民衆のために献身せよ」と身命を賭して諫暁なされたのです。
 
熊沢 なぜ、迫害を覚悟の上で正義を叫び抜いていかれたのでしょうか。
 
名誉会長 御書には「いはずば・慈悲なきに・にたり」(200ページ)と仰せです。真実を言わなければ、かえって無慈悲になってしまう。多くの民衆を不幸のまま放置することになる。だから師子吼なされたのです。 これこそ究極の正義です。真実の大慈悲です。勇気とは慈悲の異名です。学会は、この大聖人の御精神を真っ直ぐに受け継いできました。 牧口先生と戸田先生は、軍部政府と戦って牢獄に入られた。牧口先生は獄死された。 戸田先生は、2年間の過酷な獄中生活を耐え抜かれた。酷暑と極寒。看守から何度も殴られた。それでも、絶対に信念を曲げなかった。 大偉人たる師匠を死に至らしめた魔性に対して、憤怒を燃えたぎらせて戦い抜いた。真正の師子王です。 とともに、不幸の底で嘆き悲しむ庶民に対しては、大海のような深い慈愛で接しておられた。一人一人を心の底から慈しみ、何としても幸福にしてみせるとの強い一念で励まし続けていかれたのです。
 
佐藤 あの夕張炭労事件の時も、池田先生が急きょ、北海道に駆けつけてくださいました。 先生は「夕張の友は、最も危険なところで働いている。その同志がいじめられているんだ。つらい思いをしている友を黙って見ていられるわけがないじゃないか」と激励してくださった。その感激を、草創の先輩が熱い思いを込めて語っておられました。
 
女性が幸福に!
熊沢 ところで、「師子王の心」というと、どうしても男性的なイメージがあるような気がします。
 
名誉会長 でも実際は「女性のほうが勇敢です」という声も多い(笑い)。私もそう思う(爆笑)。 学会でも、一番、勇気があるのは婦人部です。 大聖人は、女性のリーダーであった千日尼に仰せです。 「法華経は師子王の如し一切の獣の頂きとす、法華経の師子王を持つ女人は一切の地獄・餓鬼・畜生等の百獣に恐るる事なし」(御書1316ページ)と。 最も健気に生きゆく女性たちが、何ものも恐れず幸福になっていくための信心です。そのために、リーダーは師子奮迅の力を出し切って、叫び抜くのです。戦い切るのです。
 
熊沢 誰よりも求道心に溢れた女性の千日尼に「師子王の心」を教えてくださったことに甚深の意義を拝します。「師子王の心」の根幹は「師弟不二」の信心ですね。
 
名誉会長 そうです。有名な「聖人御難事」には、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(同1190ページ)とあります。 「師子王の心」を「取り出して」と仰せです。 もともとないものは出せません。誰人の胸中にも、「師子王の心」が必ずある。 それを「取り出す」源泉が師弟不二の信心なのです。 広宣流布のために、不惜身命で道を開いてこられた師匠の心が「師子王の心」です。 その心と不二になれば、わが生命に「師子王の心」が涌現しないわけがない。 私は、戸田先生にお仕えしながら、深く決意しました。 師子王をお護りするため、弟子である自分が「師子王の心」を取り出して、一切の障魔を打ち破っていくのだと。
 
わが人生を勝ち開け
熊沢 昭和54年(1979年)、破和合僧の陰謀が渦巻く中、私たちの先輩である北陸女子部のリーダーは、ある会合で声高らかに叫びました。 「何が変わろうとも、誰がどうあろうとも、私たちの師匠は、池田先生ただお一人ではないですか!」と。 31年後の今、その方は社会においても、小学校の先生を勤め上げ、教職大学院の教授として、見事な勝利の実証を示されています。
 
名誉会長 よく知っています。後輩の道を立派に開いてくれました。皆さんも、断じて勇気を取り出して、わが人生を胸を張って勝ち開いてもらいたいのです。
 
佐藤 はい。先生は、「師子は怯まない。師子は負けない。師子は嘆かない。師子は速い。師子は敵を倒す」と教えてくださっています。その通り前進します。
 
名誉会長 御聖訓には、「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干(=狐の類)のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(同1190ページ)とあります。 今、わが創価の一門には、君たち青年がいる。君たちの若き生命に「師子王の心」が燃えている限り、広宣流布の未来は前途洋々なのです。 ((下)に続く)
 
 ゲーテの言葉は、高橋健二訳編『人生の知恵4 ゲーテの言葉』彌生書房から