【第6回】 立正安国の旗(上)2 2010年 4月29日

弾圧を恐れず諫暁
熊沢 大聖人は「立正安国論」の提出をはじめ、御生涯で幾度も国主諫暁をされています。弾圧の危険を顧みず、大聖人は厳然と言論戦を重ねられています。
 
名誉会長 大聖人は、その理由について、「但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(同35ページ)と仰せです。大聖人の諫暁は、天変地異、大飢饉や疫病、幕府の無策によって、塗炭の苦しみに喘ぐ民衆を救わんがためです。またそれは、正しい宗教の真髄を示される戦いでもありました。当時、権力者は、自己の保身のために各宗派に祈祷を行わせていた。宗教の側も、その権力に迎合して癒着し、民衆救済の戦いなど微塵もなかった。民衆の幸福と安穏のためには、この根底の意識を転換せねばならない。「立正安国論」は、「宗教の革命」とともに「指導者の革命」を訴えられた書でもあるのです。
 
棚野 まさしく、烈々たる民衆救済の精神に貫かれています。
 
名誉会長 自界叛逆難(内乱)、そして他国侵逼難(侵略戦争)が起きることを経文に照らして予言し、権力者を諫められたのも、罪なき民衆が犠牲になる戦争を絶対に起こしてはならない、との御心からであったと拝される。戦争ほど残酷なものはない。6年前、フィリピンの名門キャピトル大学の創立者であられる、ラウレアナ・ロサレス先生と語り合ったことが忘れられません(2004年6月、東京)。ロサレス先生は、第2次世界大戦で、約2万人が犠牲になったとされる、日本軍による「バターン死の行進」の生存者でした。ロサレス先生は、当時、16歳の乙女であった。先生は語られた。「私は、人間が同じ人間に対し、このような残虐行為を働くのを、2度と目にしたくありません。生命の尊厳を教える教育こそが、このような蛮行を繰り返さないために不可欠なのです」本当に偉大な教育の母でした。
 
熊沢 今月には、後継のフアレス学長のご一家が、創価世界女性会館を訪れ、「ラウレアナ・ロサレス 教育・人道賞」を池田先生に授与されました。先生が世界に築かれた平和の宝の結合を、私たちは受け継いでまいります。
 
雰囲気に流される弱さを打ち破れ
名誉会長 軍国主義の嵐が吹き荒れた20世紀の日本で、「今こそ国家諫暁の時ではないか」と決然と立ち上がられたのが、牧口先生、戸田先生です。あの時代に「立正安国」を叫び切ることは、まさに死身弘法の大闘争でした。初代、2代会長の身命を賭した獄中闘争こそ、学会の平和運動の原点です。立正安国の戦いの出発点です。戸田先生は、権力の恐ろしさを知り抜いておられた。だからこそ「青年は心して政治を監視せよ」と訴えられたのです。
 
棚野 池田先生も冤罪で牢に入られました。ありとあらゆる三障四魔の難を受け切り、すべてを勝ち越えてこられました。
 
名誉会長 私には、創価の師弟という、金剛不壊の立正安国の柱があるからです。ともあれ、正義は断じて勝たねばならない。勝たねば、立正安国は実現できない。そのために、私は、巌の如き信念の、絶対に負けない青年を育てたい。
 
熊沢 はい。強く強く前進してまいります。ある実験の結果を聞きました。それは、ブランド好きといわれる日本人が、もしブランドがなかったら何を基準に買い物をするかという実験です。その結果、最大の基準となったのは、「周りの人と同じものかどうか」ということでした(笑い)。
 
名誉会長 大勢や雰囲気に流される日本人の気質は、なかなか変わらない。周りが右を向けば、右を向く。左を向けば、左を向く。こうした風潮は、全体主義がはびこる温床となる。トインビー博士は、私に語られました。
ファシズムに対する最善の防御とは、社会正義を最大限可能なかぎり確立することです」正しいことは正しいと言い切る。自分の信念を貫く。社会の土壌を根底から変革する。平和と人権の大哲学を、一人一人の胸中に打ち立てていく。その青年の陣列を築き上げることが、立正安国の勝利の道なのです。                          ((下)につづく)