【第8回】 御書根本の常勝(上)2 2010年 5月26日

わが栄光の劇を!
 
熊谷 「大阪の戦い」に参加した先輩は、一様に「あの時は大変だったけど、本当に楽しかった」と言われます。「なんだか矛盾するような気もしますが、どういうことなんでしょうか」と、ヤング男子部の友が語っていました。
 
名誉会長 本来、「苦」と「楽」は一体なのです。 真の「楽しさ」とは何か。それは「生命の充実」です。その充実とは、苦難と戦う中にこそある。 労苦を厭わず、必死に祈って、壁を破る。勝利する。だから喜びも大きい。本当に楽しいのです。 自分だけの小さな悩みで一喜一憂する青春では、あまりにも侘しい。 広宣流布は、人類の幸福を勝ち取る大闘争です。ゆえに楽な戦いではない。しかし、「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経歓喜の中の大歓喜なり」(同788ページ)と仰せです。 大仏法を実践し、自他共の幸福のために尽くしゆく喜びに勝るものはない。これ以上の充実はありません。
 
古屋 昭和31年1月5日、「大阪の戦い」の出発の地区部長会の折、先生は、緊張して固くなっている皆の様子をご覧になって、歌を歌い、舞うことを提案されました。参加された方々も、びっくりしたそうですね。
 
名誉会長 そうだった。皆、即興で自由奔放というか(笑い)、一生懸命、踊りを披露してくれた。おかげで雰囲気が一気に明るく弾けた(爆笑)。 御書には「迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか」(1300ページ)と仰せです。 学会歌の指揮も、この御書に則った在り方なのです。
私は、大阪中、関西中の大地から、新たな地涌の菩薩を続々と誕生させてみせるとの一念で指揮を執りました。 同じ戦うならば、地涌の菩薩としての誇りを胸に、悠然と舞うように戦うことです。創価という最極の青春の晴れ舞台で、栄光の劇を演じ切っていくのです。「一生成仏抄」には、「皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(同383ページ)とあります。 広布の活動は、最後は全部、自分の福運となって返ってくる。必ず宿命転換ができる。これほど楽しく、これほど価値のある行動はない。 とともに、笑いがあり、喜びがあり、感激の涙があるところに人は集まってくる。こういう機微が大事なのです。
「戦いというのは、最後は『本当に楽しかった』と言えるまでやらなければいけない。そうでなければ、本当の戦いとはいえない」 これも、恩師の指導です。
 
億劫の辛労を尽くし
 
川島 関西本部での早朝講義は、毎朝8時から行われたとうかがいました。参加者は大阪はもとより、関西各県から集われたといいます。
 
名誉会長 始発に乗って勇んで集ってくださった方もいた。皆、真剣だった。私も真剣勝負でした。だから「心」が一致し、無量の「力」が生まれたのです。 いまだ信心をして日が浅い同志に、どうすれば、信心の偉大な功力を伝えられるか。億劫の辛労を尽くす思いで毎回の講義に臨みました。講義が終わると、皆、師子奮迅の力で飛び出していきました。 朝の講義だけではない。あらゆる会合や個人指導で、御書を通して激励をしました。 戦いのスタートにあたって、まず拝したのは、「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同1132ページ)との一節です。
 世間の常識から見れば不可能な戦いだったかもしれない。しかし「不可能を可能」にできるのが信心です。強盛な祈りです。題目です。皆の心に、その大確信を燃え上がらせたかったのです。 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(同1192ページ) これが大阪の大闘争において、私が一貫して訴え、そして自ら示したことです。
 
古屋 先生は御書を通し、「時に応じた指導」を自在にしてくださったと、先輩方は回想されています。 メンバーの呼吸が合っていないと感じられた時には、「異体同心なれば万事を成し同体異心なれば諸事叶う事なし」(同1463ページ)の一節を拝して、団結を訴えられました。 地域の中心者の一念が弱いと見抜かれた時には、「軍には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵臆病なり」(同1219ページ)の御金言を通して、リーダーを鼓舞していかれました。
 
名誉会長 学会の教学は「実践の教学」です。目の前の一人に、勇気を贈る。目下の課題を打開する智慧を湧き起こす。そして、仏の生命力を涌現させて、共に大勝利への道を開いていく。そのための御書であり、教学です。 何としても、皆を奮い立たせ、勝たせたい。この強き一念で御書を拝し、率先して祈り、行動していく中で、「随縁真如の智」が滾々と湧き出てくるのです。
 
熊谷 先生は、それこそ大阪の全会員と会われたのではないかというくらい多くの方に、個人指導をされました。また夜中には手紙やハガキを書かれて、同志や拠点に送られています。
 
名誉会長 私は、できることは何でもやりました。 戸田先生に断じて勝利のご報告をしたい。喜んでいただきたい。その一心で大阪中を駆けめぐった。 師弟を根本に、御書を根幹に一人一人を励まし抜いた。だからこそ、勝利できた。それゆえに今の関西がある。 若き君たちが、この道に続いてくれるかぎり、常勝関西の大発展は永遠です。 ((下)に続く)