【第9回】 御書根本の常勝(下)1  2010-5-27

自分らしく生き生きと! 幸福の大道を歩み抜け
 
「一人立つ」真の勇者たれ
御聖訓 強盛の信心弥弥悦びをなすべし
君よ雄々しく進め! 大胆に進め!
パラグアイ 国立イタプア大学の総長 創価の哲学は世界の指針
私たちの強き一念によって 一切の環境を広宣流布へと揺り動かしていけるのです
 
 川島関西女子部長 以前、池田先生に私は、「どうすれば新入会の友に、師弟の精神を伝えることができるでしょうか」と質問させていただく機会がありました。 その時、先生は「難しく考えることはないよ」と言われながら、「日ごろの触れ合いのなかで、一歩一歩、信心を教えていけばいい。先輩として、親しい友人として、ふつうに、ありのままに接していけばいいのです」と温かく語ってくださいました。 「大切なのは、友の心を知り、時と場合に応じて語っていく、人間哲学者の直観の智慧である」とも教えてくださいました。私の原点となりました。
 
 池田名誉会長 そうだったね。無理したり、背伸びをしたりする必要はないんだよ。 大聖人の仏法では、成仏といっても特別な存在になるのではない。最も人間味あふれる人格が、仏の生命です。 「九界即仏界」であり、「仏界即九界」です。信心したからといって、悩みや苦しみがなくなるわけではない。 しかし、真剣に妙法を唱え、法のため、人のため、社会のために行動するなかで、「本有無作」のありのままの凡夫の身に、偉大な仏の境涯を現していける。久遠元初のわが生命を旭日のように光り輝かせていけるのです。 「御義口伝」には、「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり」(御書759ページ)と説かれています。 気取りや見栄など、いらない。人と比べて、自分を卑下してもいけません。 最高に明るく伸び伸びと、自分らしさを発揮して、社会に貢献できるのが、正しき「自体顕照」の信仰です。 ともあれ、女子部は一人も残らず、これ以上ないという幸せを勝ち取ってもらいたい。そのために教学がある。 戸田先生は「女子部は教学で立て」と言われた。生命尊厳の哲理、平和と幸福の哲学に生きゆく青春ほど、気高く尊いものはありません。 もちろん、男子部は手を抜いてもいいというわけではないよ(笑い)。男子部も「剣豪の修行」の如き錬磨を重ね、「実践の教学」で前進してもらいたい。
 
 熊谷関西青年部長 はい! ヤング男子部も、学生部も、先生が教えてくださった「立正安国」の哲学を真剣に学び、社会をよりよい方向へ変革していこうと、若い世代に連帯を広げています。
 
共生の文明を創造
 
 名誉会長 かつて戸田先生は東北のラジオ局のインタビューで、「創価学会に青年が多いのはなぜか」と質問されました。先生の回答は明快でした。「それは哲学が深いからである」と。 古屋関西男子部長 「哲学不在」の時代を開く学会の前進に、世界の識者も大きな期待を寄せてくださっています。5年前の春、池田先生に「名誉博士号」を授与されたパラグアイの国立イタプア大学のゴンサレス総長は語られました。 「SGI(創価学会インタナショナル)の哲学は『世界の指針』といえます。より良い世界への変革は、池田博士の卓越した指導のもとに推進される『人間革命』によってのみ、実現可能です」と。 名誉会長 ゴンサレス総長は忘れ得ぬ信念の大教育者です。南米のパラグアイでも、わが同志は社会貢献に尊い汗を流しています。 この大哲学の基盤こそ、御書です。御書は、人類の未来を開く智慧の宝庫です。戦争や暴力、差別や環境破壊といった、世界が直面する課題も突き詰めれば、人間自身、そして生命の問題に帰着する。 大聖人の仏法は、その根本に光を当て、真の平和と共生の文明を創造しゆく英知を明かしているのです。 「立正安国論」には、「若し先ず国土を安んじて現当(=現在と未来)を祈らんと欲せば速に情慮を回らしいそいで対治を加えよ」(御書31ページ)と仰せです。 君たち青年には、この大哲学で社会を照らし、全世界を照らしていく重大な使命がある。権利がある。責任がある。
 
大難を勝ち越えよ
 
 古屋 立正安国といえば、関西の同志が命に刻みつけている歴史が、昭和32年(1957年)の7月3日、池田先生が事実無根の冤罪によって不当に逮捕された「大阪事件」です。 「小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ」(同297ページ)と御聖訓に仰せの通りの法難です。先生は敢然と戦われ、無罪判決を完璧に勝ち取られました。
 
 名誉会長 学会が、なぜ御書根本で進むのか。それは、教学の利剣がなければ、難に打ち勝てないからです。 戦時中の弾圧で、牧口先生、戸田先生以外の最高幹部は、ことごとく退転した。組織は壊滅状態になりました。教学がなかったからです。 信心をすれば功徳がある。幸せになる。そう言われて信心を始めたのに、大変な目にあった。それで疑いを起こして退転してしまった。お世話になった牧口先生に悪口を言う恩知らずもいた。 しかし、大聖人は御書で厳然と仰せです。 「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」(同1087ページ) 「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448ページ)
 正法を行ずれば、必ず大難がある。正しいがゆえに圧迫される。それを勝ち切ってこそ、永遠に崩れざる成仏の幸福境涯を築くことができる。 大聖人は御書の中で、このことを繰り返し、教えてくださっています。 戸田先生は、戦後、徹して教学に力を注がれた。御書全集の発刊も、先生の深き一念が結実したものといえます。
 
 熊谷 大聖人は、青年門下の南条時光にも「難を乗り越える信心」を訴えられました。 「自身が大事と思っている人たちが信心を制止し、また大きな難がくるであろう。その時、まさに諸天の守護が叶うに違いない、と確信して、いよいよ強盛に信心に励むべきである」「くれぐれも人の制止があったならば、心に嬉しく思いなさい」(同1512ページ、通解)と。
 
 名誉会長 若き時光も、不当に多くの課税を強いられるなど、さまざまな迫害や中傷を受けました。その矢面に立って同志を守ったのです。 大聖人は時光が青年だからこそ、甘やかされなかった。若き魂に「師子王の心」を打ち込まれた。 「師子王の心」で戦えば、必ず一切に勝てることを示されました。 学会は、この勝利の経典の真髄を行じているのです。
 
 古屋 この御書を軽視し、違背したのが、邪宗門です。 それは「御書」の収集や書写、なかんずく、御消息を含めた御書の講義に力を注がれた日興上人の御心を踏みにじる悪行であり、五老僧と同じです。
 
 名誉会長 「日興遺誡置文」には「当門流に於ては御書を心肝に染め」(御書1618ページ)と仰せです。 また「五人所破抄」には、「大聖人の御書も、広宣流布の時には、また仮名交じり文を外国語に翻訳して、広く世界に伝えるべきである」(同1613ページ、趣意)とも示されている。 創価学会は、日興上人の御精神の通りに、御書を世界の諸言語に翻訳し、全世界に流布してきました。 いまやアジアの各国でも、北中南米でも、欧州でも、アフリカでも、オセアニアでも、多くの同志が喜々として御書を拝し、行動している。これほど、すごい仏教研さんの運動はありません。 ここにも、学会こそが大聖人・日興上人に直結した、仏意仏勅の広宣流布の団体である証しがあります。
 
激闘の中で学べ
 
 熊谷 平成3年11月、邪宗門が学会に滑稽千万な「破門通告」なるものを送りつけてきた時も、御書の引用は全く一つもありませんでした。 要するに衣の権威で、学会を服従させようとしただけでした。その邪義を、学会は御書を根本にして、ことごとく打ち破りました。
 
 名誉会長 戸田先生は師子吼なされた。 「創価学会の一つの誇りとするところは、世界最高の教学をもっていることだ」と。 ともかく、一節でも、一文でもいい。御書を心肝に染め、実践していくことです。 よく戸田先生は言われた。「仏法はあまりにも深いのだから、『ああ、そうですか』と簡単にわかるものではない(笑い)。そして、わかってから実践するよりも、最初に信じて実践して、後でわかったほうが得じゃないか」と。
 
 川島 池田先生の若き日の日記には、御金言がたくさん書き込まれています。 21歳の時の日記には、「御義口伝」の「妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(同750ページ)の一節とともに、「雄々しく進め。大胆に進め。若いのだ。若いのだ。常に、伸びるのだ。飛躍を忘れてはいけない」との決意が記されていることに感動しました。
 
 名誉会長 どんなに忙しくても、いな忙しいからこそ、御書を声に出して拝読しました。大聖人は、社会から離れた安穏とした環境で、御書を執筆されたのではない。命にも及ぶ大難の中で、御書を認められたのです。
 ゆえに私は、渾身の激闘の中でこそ、御書を自身の血肉にできると定め、要文を書き留めました。 諸君も、壁に突き当たった時こそ、御書を拝し、勇気を奮い起こすことです。 「妙と申す事は開と云う事なり」(同943ページ)と仰せです。御書を開けば、わが生命から偉大な勝利の智慧を開くことができる。