No.1 文化は民衆の声 ㊦ 2010-8-4

池田 そこに私は、ジャズ、そして音楽文化がもつ「大いなる力」を感ぜずにいられません。何がそうさせるのか、その魅力や力の「源」はどこにあるのか。
 ジャズ文化を真摯に探究しゆく時、人間が誰でも自分自身の胸中に脈打つ、偉大な魂の発現に気づくのではないでしょうか。仏法は、その奥にある最極の尊厳なる生命を覚知したのです。
ショーター 私は仏法の実践を通し、誰人にも文化的な力、芸術的資質があることを実感してきました。その資質に皆が目覚めるよう、私たちは人々の生命をさらに覚醒させる必要があるのです。ところで池田先生は、どのようにジャズを知られたのでしょうか。
池田 私とジャズの出あいは、戦後まもない青春時代にさかのぼります。日本では戦争中、ジャズは敵性音楽ということで、演奏することも、聴くことも禁じられていたのです。
 しかし、日本の敗戦から1カ月後の9月(1945年=昭和20年)には、早くもラジオで日本人の奏者らによるジャズ演奏が放送されました。17歳の私は鮮烈な印象を受けました。
 ジャズの音色は、戦難の時代を生き抜いた私たち日本人にとって、自由な新しい時代の到来を告げる音でした。ちょうど、人々が力強く復興に立ち上がっていった時期であり、ジャズの演奏に大いに勇気づけられました。
 この同じころ、アメリカ主導による改革の流れの中で、日本でも事実の上で「信教の自由」が保障されていきました。戦時中、軍部政府から弾圧された創価学会も、思う存分、活動ができるようになったのです。恩師・戸田先生はその深い意義とアメリカの恩義をかみしめられていました。
 ともあれ、「文化の力」に勝るものはありません。文化が人間を、真に人間らしくする。文化は社会を照らし、明るく変えていく光です。私たちが一貫して「文化の力」に目を向けてきた理由もここにあります。
ハンコック 池田先生のお話を聞いて、文化は、ある意味で「民衆の声」ではないか、と思いました。
 文化とは、民衆一人一人の声であり、民衆の声の集積された表現ではないでしょうか。その声は、ある場合には最悪の状況に対して民衆が上げる抵抗の声であり、ある場合は、より良い明るい未来を求める民衆の、希望の表現といえるでしょう。
 ジャズとは、まさに「自由」を謳う音楽です。ジャズの自由奔放さは、どんな抑圧的な政権でも、押さえ込むことはできません。
ショーター ジャズは、独断的な教義や規定、命令といった表面上の制約を突き破ることのできる、即興の対話を生み出す創造的な過程なのです。
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池田 それは、人間の心の本源的な自由と通じています。
 ユネスコが世界の人権の名言を集大成した『語録 人間の権利』に、日蓮大聖人の撰時抄の一節が収録されています。「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(御書287㌻)と。
 仏法では、何ものにも縛られない、何ものをも恐れない究極の生命の自由を明かしているのです。
 民衆一人一人が魂の自由を勝ち開いてきた創価学会の歴史でも、多くの歌が生まれてきました。
 戸田先生も、よく言われました。
 「民族の興隆には、歌が起こるのだ。どんどん新しい勢いのある歌が出るのは、学会の発展の姿だ」と。
 学会歌は、勇気と希望を奮い起こします。どんなつらいことがあっても胸を張り、学会歌を歌って、母たちも、青年たちも、再び困難に挑戦していきました。学会歌が生きる喜びの源になって、創価の友は大前進してきたのです。
ショーター 私は、共に戦うに値する民衆の願望を代弁する音楽を奏でたいと思っています。それは、音楽的に表現された「決してあきらめない」精神であり、また名声や成功に目がくらむ心の迷いに挑戦する新たな音楽です。それらは、一瞬の満足を売り物とするような今日の音楽界では、なかなか出あえないものです。
ハンコック そうです。重要なのは「何のため」です。私たちの真の目的は、自分が新たに発見したことを、そのまま聴衆と分かち合うことです。自分が感じるまま、聴衆に披露する勇気をもつことです。
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池田 正しい芸術の真髄です。仏法では「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(同761㌻)と説かれます。真の喜びは分かち合うものです。分かち合えば、ますます増えるものなのです。
 芸術の世界も本来、触れた人が身構えるものではないでしょう。皆が「ほっ」とでき、喜びきえることが大事ではないでしょうか。お2人の気取らない「ありのままの情熱」が、聴衆の胸に響き、心を打つのでしょう。
ハンコック ジャズのルーツ(起源)はアフリカ系アメリカ人の経験にありますが、私の実感から言えば、その淵源は、さらに人間の心に、もともと具わる偉大な特質にあると思います。それは、最悪の環境もありのままに捉え、そこから大きな価値を生み出す能力です。これは仏法でいう「変毒為薬」に通じると思います。
 ジャズの心を私流に言えば、「仇討ち」です! もちろん世に言う「仇討ち」ではありません(笑い)。人間の生命に巣くう「魔性」に対する「仇討ち」です。「攻撃」です。ジャズが表現を求めるものは、この「攻撃精神」なのだと思います。
 巡りあった仏法の正しい実践を通して、私は初めて、ジャズの最大の特質がはっきりと感じられたのです。
池田 魂を揺さぶられる言葉です。ジャズは、不屈の生き方そのものですね。
 学会も草創期、「貧乏人と病人の集まり」と揶揄されました。その中で、生命尊厳の仏法哲理を掲げ、「この世から悲惨の二字をなくしたい」と、苦悩に喘ぐ民衆を一人一人、抱合かかえるように励まし、戦ったのが戸田先生でした。
 私も不二の弟子として立ち上がり、尊き庶民と共に、今日の学会を築き上げてきたのです。この草創の心を、青年には厳然と伝えていきたい。
 ともあれ仏法は「煩悩即菩提」「生死即涅槃」です。悩みや苦しみがあるからこそ、成長できる。偉大な境涯を開ける。「苦楽ともに思い合せて」題目を唱え、「歓喜の中の大歓喜」の人生を歩んでいけるのです。
 ジャズも、苦悩の大地から生まれ、鍛え上げられた音楽だからこそ、生命を鼓舞する強さをもっているのではないでしょうか。これこそ文化の究極の力です。
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ショーター 文化の創造には、責任が伴います。今の社会では、文化の向上は、人間のさまざまな努力のうちで、優先順位が最も低い位置に置かれています。残念なことです。
 しかし、私は、文化の向上のために、ジャズは何かできるか、何をすべきかを追求していきたいと思います。
ハンコック ジャズは今なお、改良と向上を続けています。興味深いのは、よい時代にも、不幸な時代にも、ジャズが常に生き延びてきたという事実です。私は個人的には、ジャズは永遠の生命をもつ音楽だと信じています。
ショーター ジャズの演奏は、私たちに深い人間性と、何が起こるか分からないという挑戦の機会を与えてくれます。そして、どんなことが起こるか分からないということが、即興的な演奏と関係してくるのです。これは、実に恐ろしいことです。尻込みすれば、恐れは怪物のようにいっそう大きくなります。ステージの上では、それまでレッスンしてきたことなど、どこかへ忘れてしまい、自分自身が傷つきやすい、弱い存在に感じられるものです。
 でも私たちは、それに打ち勝つ自分自身の戦いの瞬間、勝利の瞬間を、聴衆に見てもらいたいのです。その時、私は、無常の生命を超越した何ものかに到達したかのように感じます。人生において、悲劇は、いつまでも続くものではなく、わが使命は永遠なのですから──。
 ジャズの演奏は私たちに、どんな不測の事態が起きようとも、困難に挑戦し、勝利する勇気を与えます。
池田 素晴らしい。感動しました。人生も文化も戦いです。限りなく向上し、価値を創造するための戦いです。戦いは、勇気がなければ勝てない。お二人は勇敢に、幾多の試練を勝ち越えてこられました。ジャズという文化の武器で、「人間」そして「生命」の力の偉大さを証明してこられた。
 いま、時代は混迷を深めている。不測の試練の連続といっていいでしょう。時々刻々と待ったなしで、まさに「即興演奏」で応えなければならない。
 だからこそ私は、「芸術の王者」「人生の王者」の2人に続いて、勇気と正義を貫く勝利の価値創造の道を、青年に歩み抜いてもらいたいのです。
 ショーターさんは、この8月25日で77歳になられましたね。おめでとうございます!
 ハンコックさんは70歳。記念のコンサートを9月1日に開かれました。日本では「喜寿」「古希」といって、いずれもおめでたい年齢です。お2人のますます若々しいご活躍を念願します!
ショーター サンキュー・ソー・マッチ、センセイ!
ハンコック 私たちは壮年部の一員として、先生のご指導通り、今の年齢マイナス30歳の気概で戦います