小説「新・人間革命」 厳護 8 12月16日

宮坂勝海は、体の不調を覚え、一九七六年(昭和五十一年)一月、病院で検査を受けると、直腸癌とわかった。既に末期であった。
 手術をしたが、癌は、あちこちに転移しており、取り除くことはできなかった。「余命一カ月」と言われた。
 しかし、彼は、家族に語るのであった。
 「ぼくは、仏法の偉大さを、必ず実証してみせるよ。余命、幾ばくもないにせよ、山本先生の会長就任十六周年となる五月三日までは、断じて生き抜いてみせるからね」
 やがて退院し、自宅で療養した。同志が見舞いに来ると、励ましたのは、むしろ、彼の方であった。
 「人びとの幸福の道を開く、広宣流布に生きる人生は、なんとすばらしいのかと、しみじみと思うよ。
この世に生を受け、仏法に巡り合ったぼくたちには、生命の尽きる瞬間まで、仏法のすばらしさを訴え、戦い抜いていく使命があるんだ」
 また、ある時、彼は、男子部員に語った。
 「ぼくの寿命は、わずかであっても、生命は永遠だ。来世に生まれるにあたって、心から願うことは、御本尊のもとに生まれてくるということなんだ。
 でも、御本尊があっても、山本先生のような師匠がいる、創価学会という広宣流布の組織に巡り合えなければ、本当の信心はわからない。歓喜にあふれた戦いはできない。だから、先生と共に、学会と共に生まれたい。
 そして、できることなら、健康な体がほしい。御本尊を見つめる目をもち、題目を唱え、仏法を語り抜ける口がほしい。学会活動に走り回れる強い足もほしい。
 ――それが、来世に誕生するにあたっての最大の願いなんだ。
 しかし、考えてみると、ぼくは、今世で、これまで、その願いをすべて叶えてもらっていた。
本当に、ありがたい人生だったんだ。ぼくには、そのことが、『無上宝聚 不求自得』(無上の宝聚は 求めざるに自ら得たり)であると思えるんだよ」