小説「新・人間革命」 厳護 9 12月17日

余命一カ月――しかし、宮坂勝海は、二カ月、三カ月と生きた。そして、遂に、山本伸一の会長就任十六周年となる、一九七六年(昭和五十一年)の五月三日を迎えた。
 「ぼくは生きたよ。五月三日を迎えたよ」
 その日から彼は、一日一日、目に見えて、衰弱の度を増していった。だが、快活に、笑みを浮かべて語るのである。
 「もう一度、長崎文化会館の『牙城会』の任務に就きたい。喜々として会館に集って来る同志の姿が見たいな。あの夜食用のラーメンも食べたいな」
 五月の二十四日には、勝海の容体の悪化を聞いて、埼玉に住んでいる弟の剛志、また、 長崎市 内に嫁いでいた姉や、妹も駆けつけた。
 翌二十五日の朝、勝海は剛志に語った。
 「お父さん、お母さんのことを頼む!」
 そして、「家族一緒に、勤行をしたい」と言うのだ。
 皆で、勝海を抱えて仏間に行った。背中を支えられながら、彼は読経、唱題した。
 勤行が終わると、勝海は横になった。
 剛志は、経机にあった、会長・山本伸一の詩「青年の譜」の小冊子を開いた。兄の大好きな、この詩を、読んで聞かせようと思った。
 
 「天空に雲ありて 風吹けど 太陽は今日も昇る……」
 
 朗読し始めると、勝海は、ニッコリと頷き、目を閉じた。
 剛志の声が、朗々と部屋に響いた。
 
 「われには われのみの使命がある 君にも 君でなければ出来ない使命がある……」
 
 朗読が半ばにさしかかったころ、勝海は、微笑みを浮かべたまま、眠るように、息絶えたのである。「牙城会」に青春をかけた、二十七歳の生涯の幕を閉じたのだ。
 人生の価値は、必ずしも、生きた歳月の長さによって決まるのではない。広宣流布という崇高な目的に向かい、自身を燃焼させることによって、人生は輝きを放つのだ。