小説「新・人間革命」 厳護 10 12月18日
宮坂勝海の他界から二カ月余りが過ぎた、一九七六年(昭和五十一年)七月三十一日から八月二日まで、九州牙城会の夏季講習会が、鹿児島県の九州総合研修所(現在の二十一世紀自然研修道場)で行われた。
講習会一日目の野外集会で、宮坂をモデルにした演劇が、長崎のメンバーによって上演された。集った青年たちは、特設された舞台を、食い入るように見ていた。
宮坂役の青年が、病床で叫ぶ。
「元気になって、また、『牙城会』の任務に就きたい。学会を、同志を、先生に代わって、断じて守り抜くんだ……」
皆の目に、涙が光る。ぎゅっと拳を握り、唇をかみしめる人もいる。誰もが、深い感動を覚えながら、宮坂の決意を共有し合った。
鑑となる一人の存在が、万人を奮い立たせる。誰かがではない。各人が、その一人をめざしてこそ、学会は師子の集いとなるのだ。
演劇が終わり、大拍手が霧島の天地にこだました。ナレーターの声が響いた。
「宮坂勝海さんのお父様の歩様から、お手紙をいただきましたので、ご紹介します。
『霧島の地にお集まりくださっている皆様の顔が目に見えるようでございます。長男・勝海も、皆様と共に集える今日の日を、楽しみにしていたことでしょう。
不覚にも、山本先生よりも、また、皆様よりも先に、霊山へ旅立ちました。
勝海は、表立った華々しい戦いは、何もできませんでしたが、先生をお守りし、牙城を守り、民衆を守ろうという一念は、誰にも負けないものがありました。
無言のうちに、その精神を教えてくれました。息子ながら、“さすが、牙城会”と、感嘆いたしております。
……何とぞ、何とぞ、若い皆様方、勝海の分まで、戦ってください! 心より、お願い申し上げます』」
父親は、最愛の息子を亡くした悲しみが癒えぬなか、「牙城会」の青年たちに希望を託して、この手紙を認めたのだ。
父の叫びは、青年たちの胸を貫いた。