小説「新・人間革命」 厳護 11 12月20日

夏季講習会二日目には、九州牙城会総会が行われ、あいさつに立った男子部長の野村勇は、「宮坂君の姿に、牙城会員の鑑を見る思いがする」と述べ、こう提案した。
 「広宣流布の先駆である九州牙城会は、初の試みとして、方面牙城会旗を作製してはどうかと考えております。
その旗には、アルファベットで、九州の頭文字となる『K』と、『牙城会』の『G』と、宮坂君の『M』の字を染め抜き、永遠に彼を顕彰していきたいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」
 賛同の大拍手が、雷鳴のように轟いた。
 八月七日、九州指導のため、九州総合研修所に滞在していた山本伸一に、男子部長から、宮坂勝海のことが報告された。
 「九州牙城会は、宮坂君の志を受け継いで立ち上がるんだよ。それが、本当の同志だ。志の共有がなければ、大願の成就はない。
 また、お父さんも立派だね。宮坂君を顕彰するために、研修所に桜を植えよう。彼の名前が宮坂勝海だから、勝海桜としよう」
 そして、伸一は、父親の歩に歌を贈った。
 
  健気なる  わが子を讃えて  涙ふき  勝海桜を 永遠にまもらむ
 
 伸一の行動は迅速であった。迅速さには、思いの強さと誠実さが現れる。「広宣流布の指導者は、『スピード』をモットーとせよ!」とは、師の戸田城聖の教えであった。
 その知らせを電話で聞きながら、母親の初音は、懸命に嗚咽をこらえた。
 すぐに伸一に、父親から手紙が届いた。
 「今日は、もったいない歌をいただきまして、ありがたさに打ち震えております。なんと勝海は幸福者でしょう」
 さらに、父親は歌を記していた。
 「寒風の嵐にいどみ彼岸 登りて見れば春や爛漫」