小説「新・人間革命」 厳護 12 12月21日

宮坂勝海の父母は、「牙城会」のメンバーとして、健気に広宣流布の使命に生きたわが子を、最高の誇りとしていた。
 二人は、勝海は、若くして逝ってしまったが、今世で、宿命を転換しての死であったのだと、深く感じることができた。
 牙城会員の「厳護」の精神は、学会のなかだけでなく、「民衆厳護」の実践となって、さまざまな局面で、その力を発揮してきた。
 一九七四年(昭和四十九年)一月、 新潟市 の住宅密集地で火災が発生した時には、近くの印刷所で働く牙城会員の兄弟四人が、バケツを片手に真っ先に駆けつけ、消火作業にあたった。
さらに、消防署員に協力し、冷静沈着に、敏速に行動して、延焼を食い止めたのである。
 九月には、東京・ 狛江市 で、大雨のため、多摩川の堤防が決壊した折、十数人の牙城会員をはじめ、学会員が救助作業にあたった。
雨で、ずぶ濡れになりながら、懸命に土嚢や家財道具などを運ぶ献身的な姿に、地域の人びとは感嘆し、賞讃と感謝の声が寄せられたのである。
 十月、東京・ 杉並区 で、牙城会員らが、座談会の帰途、「ドロボー。待て!」という叫び声を聞いた。彼らは、逃げていく窃盗犯の男を、百メートルほど追いかけ、取り押さえた。
その勇気ある行動に対して、警視総監から感謝状が贈られている。
 七六年(同五十一年)九月のことだ。午後九時過ぎ、広島文化会館の裏にある山で火災が発生した。近所の住民から知らせを受けるや、牙城会員をはじめ、男子部員ら五十人が現場に急行。
消火器と、果敢なバケツリレーで、見事に火を消し止めたのである。
 こうした牙城会員の活躍は、枚挙にいとまがない。青年には、率先して、人びとを守る使命がある。その教育がなければ、エゴイズムが氾濫し、社会は根底から蝕まれていく。
社会、民衆に奉仕する青年の育成に、創価学会の大きな役割の一つがある。