小説「新・人間革命」 厳護 16 12月25日

一九五五年(昭和三十年)の十月、山本伸一は、青年部の室長として、「男子部輸送班に与う」と題する指針を発表した。
 そこでは、会員一人ひとりに心を砕き、正確に、敏速に、また、情熱と誠実をもって事に当たっている「輸送班」の姿を賞讃し、こう訴えている。
 「『冥の照覧』を信じ、若き時代の仏道修行を、輸送班の実践に移し、その得たるところを、青年部に、職場に、存分に生かされんことを切望するものである」
 「冥の照覧」とは、仏、諸天善神が、一切衆生の一念、行動をすべて明らかに見ていることをいう。つまり、厳たる生命の因果の法則からは、誰人も逃れられないことを意味しているのだ。
 「輸送班」の青年たちは、伸一の「男子部輸送班に与う」によって、自分たちの使命を深く自覚するとともに、「冥の照覧」への確信を、根本精神としていったのである。
 六〇年(同三十五年)五月三日、伸一が第三代会長に就任すると、「輸送班」の育成には、一段と力が注がれた。
 輸送班員は、私と一緒に、広宣流布の大願へと、同志を輸送する使命を担った人たちだというのが、伸一の思いであった。
 伸一は、陰の力として学会を支えてくださる人びとは、自分の命に代えても守っていこうと、深く心に決めていた。彼のこの一念が、創価の人材群を育んでいったのだ。
 任務時に着用する白いトレーニングパンツを、メンバーに贈ったこともあった。
 また、総本山の大客殿落成を記念して行われた、三百万総登山が終了した六五年(同四十年)の三月には、輸送班員と女子部本山役員の合計約八千人に、『会長講演集』第十二巻を贈った。
この寄贈分の本の扉には、伸一の文字で、「柱」と揮毫され、巻末には、全員の氏名が約五十ページにわたって掲載されていた。
 彼の薫陶、激励を受けたメンバーは、青年部のなかで模範の存在となっていった。