小説「新・人間革命」 厳護 18 12月28日

創価学会の会館建設の流れは軌道に乗り、一九七〇年代後半には、各県区にも、鉄筋コンクリート造りの大型会館が、次々と建設されていった。
 また、七四年(昭和四十九年)からは、全国各地の研修所や文化会館なども使って、夏季講習会が行われるようになっていた。
 本部、会館の警備を担当する「牙城会」は、七一年(同四十六年)に発足し、新しい大型会館にも対応できる基盤がつくられていた。
しかし、各地での講習会や、大型会館での諸行事の運営・整理に当たるグループの布陣は、まだ整っていなかった。
 そこで、新たな人材を育むうえでも、「輸送班」の任務の見直しと拡大が、大きなテーマであると、山本伸一は考えていたのだ。
 彼は、七六年(同五十一年)春ごろから、男子部長らと、「輸送班」の未来について語らいを重ねてきた。
男子部では、「輸送班」のメンバーを大幅に増員し、名称も新たにして、男子部の中核を成す人材育成組織としたい意向であった。
 伸一は、十一月二日、男子部長らと語り合った折、一枚のメモ用紙にペンを走らせながら言った。そこには、「創価班」と書かれていた。
 「男子部から、いろいろ名称の案が出されたが、『輸送班』に代わる新しい人材育成機関の名称は、『創価班』にしたいと思う。そして、『輸送班大学校』も、『創価班大学校』としよう。
 この名前の意味は、創価学会の精鋭中の精鋭として、学会のすべてを運営し、広宣流布の一切を推進していくということだ。
そして、一にも、二にも、十にも、ともかく学会を守っていくんだ。その意味から、学会の名前をそのまま冠して、『創価班』としたんだよ。名は体を表すからね。
 これからは、『創価班』が中心となって、新しい時代を開いていくんだ。この『創価班』の委員長には、新しい人材を抜擢しよう。この新体制の発表は、早い方がいいね」