小説「新・人間革命」 厳護 19 12月29日

驚きが走った。歓喜が炸裂した。爆発的な拍手が、場内を揺るがした。
 一九七六年(昭和五十一年)十一月四日の夜、東京・信濃町創価文化会館で開催された輸送班幹部会でのことである。
 男子部長から、「輸送班」を発展的に解消して、「創価班」とすること。そして、陣容も拡大し、登山会の輸送任務はもとより、学会本部をはじめ、各地の会館での諸行事の運営・整理など、一切の責任を担っていくことが発表されたのだ。輸送班幹部会は、歴史的な創価班発足式となったのである。
 創価班委員長となった加藤正秋は、堂々たる体躯の青年であった。早稲田大学の大学院に学び、本部職員となり、この時、少年部長、男子部主任部長を兼務していた。
 彼は、満身に情熱をたぎらせて訴えた。
 「山本先生は、私たちに『創価班』という最高の名前をつけてくださいました。なんたる誉れでしょうか! 
 そこには、創価学会の中核中の中核として、断固、学会を守り、同志を守り抜いていきなさいとの、最大の期待が込められていることは間違いありません。
私たちは、先生と共に、学会厳護に徹し抜き、生涯、師弟の道に生き抜いていこうではありませんか!
 私は、どんな苦労もいとわず、常に自ら先頭に立ち、体当たりで戦ってまいりますので、よろしくお願いいたします」
 この日、「輸送班」は、「創価班」として新生の扉を開き、新時代へと飛翔したのだ。
 ――それから一カ月後、委員長の加藤と出会った山本伸一は、一月六日に、第一回「創価班総会」を開催しようと語ったのである。
 伸一は、「創価班」、そして「牙城会」を、男子部の両輪として、広宣流布の新時代に向かって、驀進しようとしていたのだ。
 「青年が夢を抱く時、新しい歴史は生まれる。自らの手で未開拓の大地に恵みの種を蒔くことは、青年の特権だ」(注)とは、アルゼンチンの思想家で医学者のホセ・インヘニエロスの叫びである。
 
■引用文献 注 インヘニエロス著『道徳の力』ロサーダ出版社(スペイン語