小説「新・人間革命」 厳護 42 1月28日

山本伸一は、「教学の年」を迎えるにあたって、新時代建設の教学運動を推進するには、どの御書から研鑽すべきか、熟慮を重ねた。そして、「諸法実相抄」講義をもって、スタートを切ることにしたのである。
 日蓮大聖人が、本抄の「追申」で、「ことに此の文には大事の事どもしる(記)してまい(進)らせ候ぞ」(御書一三六一ページ)と仰せのように、この御書には、仏法の肝要が集約して表されているからだ。
 本抄は、文永十年(一二七三年)五月、五十二歳の御述作で、佐渡流罪中に、一谷から最蓮房日浄に与えられた御手紙である。
 法華経迹門の、在世衆生得脱のカギとされた「諸法実相、十如是」の文から説き起こして、法華経の哲理の真髄を示し、その当体が妙法蓮華経、即、御本尊であることを教えられている。
つまり、法本尊の意義が明かされているのである。 
 さらに、この法華経を弘むべき人こそ、地涌の菩薩の上首上行であることを示され、それを、まさに大聖人御自身が実践してきたと述べられている。
すなわち、大聖人こそ、一往、外用の辺から言えば、上行菩薩の再誕であり、再往、内証の辺から言えば、末法救済の大法を建立する御本仏であり、久遠元初の仏であることを暗示されている。
 いわば、この一書のなかに、人本尊開顕の書「開目抄」と、法本尊開顕の書「観心本尊抄」の結論が包含されているのである。
 しかも、後半では、未来の広宣流布は間違いないことを予言され、末法万年にわたる仏道修行の要諦として、信行学の在り方を教示されて結ばれている。
まさに、本抄には、日蓮仏法の本義が明確に示されているのだ。
 ゆえに伸一は、この御書に照らして、「本当の信心とは何か」「大聖人の弟子の実践とは何か」、そして「創価学会出現の意義と使命」とを明らかにしたいと考えたのである。
 御書という明鏡こそが、われらの一切の規範であり、指針である。御書に帰ることが大聖人直結であり、そこに信心の王道がある。