小説「新・人間革命」 厳護 44 1月31日

一月の五日付には、山本伸一の「諸法実相抄」講義の第三回が掲載された。
 この回からは、弟子の信仰の在り方や、広宣流布への実践方法が説かれていく。
 「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし……」(御書一三六〇ページ)に入ると、講義には、一段と力がこもっていった。
 伸一は、この「いかにも」、つまりなんとしてもという言葉のなかに、今こそ、弟子たちを成仏させずにはおくものか!という、大聖人の大情熱と大慈大悲を、強く、深く、拝するのである。
 日蓮大聖人の弟子たちは、自らが地涌の菩薩であることを知らず、過去遠遠劫にわたって、無明の闇夜をさまよい、生死流転を繰り返してきた。しかし、今世において、大聖人の門下となり、大仏法と巡り合ったのだ。
 しかも、師匠である大聖人は、竜の口の法難を経て、地涌の菩薩の上首・上行菩薩にして、末法の御本仏であることを、いよいよ示されたのである。
 さらに、法難の嵐は、弟子たちにも吹き荒れていた。法華経の経文を身で読める好機である。末法広宣流布に立つ時が来たのだ。一生成仏の千載一遇の機会が到来したのだ。
 弟子たちよ、何ものも恐れるな! この時を断じて逃すな! 今こそ、勇気をもって立ち上がるのだ。真の信心に立ち、法華経の行者となって、生涯、日蓮の一門となり通していくのだ!
 その烈々たる大聖人の叫びが、伸一の胸に、雷鳴のように響くのである。
 伸一は、訴えた。
 「『日蓮が一門』の自覚に立つということは、具体的な私どもの実践に約して申し上げれば、学会と運命を共にし、広宣流布への異体同心の世界に生き切ることであります。
 なぜかならば、創価学会は、ことごとく御書に仰せの通りに実践し、三類の強敵と戦っている、御本仏・日蓮大聖人の生命に直結した唯一の広布実践の団体であるからです」