小説「新・人間革命」 厳護 45 2月1日

山本伸一の講義は、「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや」(御書一三六〇ページ)に入った。
 「『日蓮と同意』とは、大聖人と同じ心、同じ精神ということであります。
 大聖人は、『日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり』(同一五五八ページ)と仰せです。
 この心で、広宣流布の使命に生き、生命をかけて実践し、責任をもっていく人が、大聖人の真の弟子であり、地涌の菩薩です。口先や、形式だけの行動であれば、やがて、大聖人のお叱りを受けることでしょう。
 初代会長の牧口常三郎先生は、死身弘法の殉教の生涯であられた。第二代会長の戸田城聖先生も、まさに、『日蓮と同意』の、不惜身命の戦いを貫かれた。
お二人の信力、行力の福徳によって、御本尊の仏力、法力という功力は、創価学会の信心のうえに、燦然と輝き渡っているのであります。
 また、大聖人は、地涌の菩薩であるならば、『釈尊久遠の弟子』であることも、疑う余地がないと明言されているのであります」
 釈尊とは、一往は、法華経本門の教主・釈尊だが、再往は、久遠元初の自受用報身如来であり、末法の御本仏・日蓮大聖人である。
 伸一は、毅然と訴えた。
 「私たちは、地涌の菩薩であり、大聖人の本眷属たる久遠の弟子なるがゆえに、末法広宣流布の大舞台に躍り出たのであります。
 使命深き、大聖人直結の私たちです。本当に、広宣流布の大責任に立って悩み、苦しみ、祈り、戦うならば、大聖人の、南無妙法蓮華経の御命が湧いてこないわけがない。
 私自身、誰も頼ることもできず、ただ一人で、決断し、敢然と進まねばならない時も、断固、その確信を貫いてまいりました」
 伸一の心には、常に大聖人直結の信心を貫いてきたのは、われら創価学会であるとの、富士のごとき不動の大確信があった。