小説「新・人間革命」 厳護 47 2月3日

山本伸一は、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり……」(御書一三六〇ページ)の御文では、「一人立つ」勇気の信心を力説した。
 「いつの時代にあっても、絶対に変わらない広宣流布の根本原理が、『一人立つ』ということです。大聖人も、そして牧口先生も、戸田先生も、決然と一人立たれた。これが、仏法の精神であり、創価の師子の心です。
 『一人立つ』とは、具体的に言えば、自分の家庭や地域など、自身が関わっている一切の世界で、妙法の広宣流布の全責任をもっていくことです。
 私たちは、一人ひとりが、家族、親戚、友人等々、他の誰とも代わることのできない自分だけの人間関係をもっています。妙法のうえから見れば、そこが使命の本国土であり、その人たちこそが、自身の眷属となります。
 自分のいる、その世界を広宣流布していく資格と責任を有しているのは、自分だけです。
 ゆえに、『一人立つ』という原理が大事になります。御本仏・日蓮大聖人の御使いとして、自分は今、ここにいるのだと自覚することです。
そして、おのおのの世界にあって、立ち上がっていくのが、地涌の菩薩です。そのなかにのみ、広宣流布があることを忘れないでください」
 最も身近なところで、仏法を弘めていくというのは、地味で、それでいて最も厳しい戦いといえる。自分のすべてを見られているだけに、見栄も、はったりも、通用しない。
誠実に、真面目に、粘り強く、大情熱をもって行動し、実証を示しながら、精進を重ねていく以外にない。しかし、そこにこそ、真の仏道修行があるのだ。
 「また、この御文は、広宣流布は、必ず、民衆の大地から盛り上がって、成就していくことを述べられたものです。
それは、決して権力によって成されるものではない。仏法対話を通しての、民衆と民衆の魂の触発こそが、その原動力となるのであります」