小説「新・人間革命」 厳護 48 2月4日

「諸法実相抄」講義で、山本伸一は、「流人なれども喜悦はかりなし」(御書一三六〇ページ)の御文を通し、絶対的幸福境涯について言及していった。
 「日蓮大聖人は、流人という、まことに厳しく、辛い立場にあります。しかも、命を狙われ、いつ殺されるかもしれない状況です。普通に考えれば、悲嘆、絶望の世界です。多くの人は不幸と見るでしょう。
 でも、そうとらえるのは、相対的次元での幸福観によるものです。
 大聖人の内心に確立された御境涯では、この世で誰よりも豊かで、湧きいずる大歓喜の、広大かつ不動の幸福を満喫されているのであります。これが、絶対的幸福境涯です。
 一般的に、幸福の条件というと、経済的に豊かであり、健康で、周りの人からも大事にされることなどが、挙げられると思います。
 こうした条件を、満たしているように見える人は、世間にも数多くいるでしょう。しかし、本当に、それで幸せを満喫しているかというと、必ずしも、そうとは言えません。心に不安をかかえている人も少なくない。
 これらは、相対的幸福であり、決して永続的なものではないからです」
 どんなに資産家であれ、社会の激変によって、一夜で貧乏のどん底に陥る場合もある。健康を誇っていた人も、不慮の事故や病に苦しむこともある。さらに、加齢とともに、誰しも、さまざまな病気が出てくるものだ。
 相対的幸福は、自己と環境的条件との関係によって成り立つ。したがって、環境の変化によって、その幸福も、はかなく崩れる。
 また、欲するものを手に入れたとしても、自己の際限なき欲望を制御することができない限り、幸福の実感は、一瞬にすぎない。財などへの過度の執着は、むしろ、心を貧しくさえする。
 「もし財産が人を傲慢や怠惰や無為や欲望や吝嗇にひき入れる場合には、不幸そのものとさえなる」(注)とは、スイスの哲学者ヒルティの警句である。
 
■引用文献 :  注 「幸福論III」(『ヒルティ著作集3』所収)前田護郎・杉山好訳、白水社