小説「新・人間革命」 厳護 49 2月5日
人は、財や地位、健康、名誉など、相対的幸福を願い、求めて、努力するなかで、向上、成長していくことも事実である。
また、所願満足の仏法を持つ私たちは、強盛な信心によって、その願いを成就することができるし、それは、信仰の力の実証ともなろう。
しかし、崩れざる真実の幸福は、相対的幸福にではなく、絶対的幸福にこそあるのだ。
山本伸一は、大確信をもって訴えた。
「絶対的幸福とは、相対的幸福の延長線上にあるものではありません。相対的幸福の次元では、いくら不幸のように見えても、絶対的幸福を確立することができる。
その例が、日蓮大聖人の『喜悦はかりなし』(御書一三六〇ページ)と仰せの御境涯です。
絶対的幸福とは、有為転変する周りの条件に支配されるのではなく、自分が心に決めた使命、目的に向かって実践していくなかで生ずる、生命自体の充実感、満足感です。
ここで最も重要なことは、自分が定めた使命、目的が、宇宙を貫く常住不変の法に合致していることです。
結論すれば、広宣流布の使命を自覚し、大願に生き抜く心にこそ、真実の絶対的幸福が築かれるのであります」
どんな豪邸に住んでいようと、仏法を知ろうともせず、学会を蔑み、水や塩を撒く人を見ると、心の底から哀れに感じ、“必ず、この人に、真実の幸せの道を教えてあげたい”と痛切に思ったにちがいない。
その境地こそが、絶対的幸福境涯へと至る大道なのだ。