【第8回2】 桜梅桃李の個性<下> 2011年-1-15

人間は共に学び合って磨かれる
 
 池田SGI会長 アカデミー・フランセーズの会員であった美術史家ルネ・ユイグ氏との語らいのなかで、私たちが得た一つの結論があります。
 それは、さまざまな可能性をもった多くの人が、自らの才能を存分に発揮して、喜びや満足を味わっている社会こそが、豊かな創造を生み出すことができるということでありました。
 日蓮大聖人は、「鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」(御書769ページ)と説かれています。
 開かれた心で打って出て、多彩な人々と生き生きと対話し交流する。他者の生命を尊敬し、共に学び合ってこそ、互いの個性がより光り輝いて、創造の花を咲かせていくことができるのではないでしょうか。
 
 ウェイン・ショーター その通りだと思います。アート・ブレイキーも、「独創性は多様な相互作用から生まれる」と語っていました。
 彼は、湖を例に挙げて言いました。「水が流れ込む入り口と流れ出る出口のない湖の中に存在する生き物は、やがて汚染され、死んでしまう。しかし、ジャズには、この入り口と出口があって、前進し、多様化し続けている」と。
 アート・ブレイキーの音楽に接する時、聴衆は、そこに多様性から生まれる何かを聴くのです。
 
 ハービー・ハンコック 私も、若い世代や異なったジャンルの演奏家と積極的に共演しています。ステージで実際に演奏している時、私は、すでに名人の域に達した演奏家と、成長過程にある演奏家とを区別しません。
 もちろん、私の役割として、演奏者の配置や、彼らの経験レベル、演奏家としての立場を認識することは必要です。舞台では、できる限り最高の音楽を作ることが最終目標だからです。
 その上で、一人の音楽家から奏でられる旋律は、すべてがかけがえのない宝となりうるのです。音楽家としての才能のレベルは、関係ありません。たとえば、粗い角を取り除いたり、型作りを手助けしたりしながら、宝石作りに手を差し伸べることはできるのです。それは、演奏中に、皆が相互に相手を引き上げようとすることです。
 
 池田 大事なお話です。世代を超えて切磋琢磨しながら、互いの持てる力を引き出してこそ、偉大な躍進があります。
 大聖人の立正安国論には、「悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る」(同31ページ)という一節があります。蘭のように芳しい人格の友や、麻のように真っ直ぐな心の連帯と交われば、おのずと良き感化を受け、わが生命を律し、高めていくことができると示されています。
 特に青年にとっては、そうした良き集いを求めて、真剣勝負で自らを鍛えていくことが大切ですね。
 
ショーター氏 今この瞬間も自己の変革に挑戦
ハンコック氏 すべての音楽家育む感性
 
 ショーター ええ。ジャズは大きな変化や改革を基調とする音楽です。そこでは、今この瞬間も、次の瞬間も自己を改革し、常に自己を浄化することが必要です。そこでの創造的表現が、内面の自分、つまり自分の本質、内面の法則からあまりにもかけ離れているなら、私たちは何も改革していないことになります。
 「こうすれば創造的なプロセスになる」という保証は、どこにもありません。聴衆の前で、真に独創的な演奏をするには、音楽自体が、その真価を発揮しなくてはならないのです。
 
 池田 ダイヤは、ダイヤでしか磨けません。
 あの大作曲家マーラーも、後輩を心から励ましました。「頭を高く上げて!」「仮にも本物であるなら、つねに学ぶ者でありつづけるのです」(須永恒雄訳『マーラー書簡集』法政大学出版局)と。その励ましを受けた後輩が、後に二十世紀の大指揮者となったブルーノ・ワルターでした。
 若き世代を、惜しみなく激励し、伸ばしていくことも、自身を磨き上げた一流の人が成しうる聖業です。それは未来への使命であり、責任であるといってもよいでしょう。
 
 ハンコック その通りです。成長過程にある相手の個性という果実を実らせ、成熟させるには、園芸家のように一つ一つの花や実を大事にする育む感性がなければなりません。それはすべての音楽家が持つべきものです。
 
 池田 後輩を自分以上の人材へと育てたい――その思いは確かに、農作物をわが子のように懸命に育む方々の心に通じるものがありますね。
 南米アルゼンチンの芸術家で、ノーベル平和賞を受賞した人権の闘士であるアドルフォ・ペレス=エスキベル博士と、私は対談集を発刊しました。
 その中で、博士が、最高の品質のトウモロコシを作る農民のエピソードを紹介されました。なぜ、素晴らしい作物が作れるのか。それは、自らの農場でとれた良質の種を近隣の人々に分け与えているからだと。つまり、トウモロコシの花粉は風で運ばれるので、近隣の品質を高めれば、それだけ自分の畑の品質も高まるというのです。
 私たちはお互いがそれぞれのために重要であり、共に助け合っていこうと呼びかけるエピソードです。仏法の「自他不二」の精神とも一致します。
 
 ショーター よく、わかります。
 今の私の挑戦課題は、聴衆自身が、演奏に連なり、その創造的な作業に参加できるよう、そう願って演奏することです。自分は、音楽家ではないし、演奏などできないと思い込んだり、また、人からそう言われてきた人々がいるかもしれません。私は、そうした人々に、私の音楽を聴いて、それまでできないと思っていたことが、自分にもできるのではないかという気持ちを抱かせるような音楽を目指しています。
 ある時、ドイツの医師の方から、一通の手紙を受け取りました。
 「マイルス・デイビスジョン・コルトレーンチャーリー・パーカーハービー・ハンコック、それに貴方が演奏した音楽を聴いたおかげで、私は、より良き医師、より良き夫、より良き市民、より良き父親になることができました」と。
 音楽の中に飛翔する生命の共鳴音を聞く時、子どもも、若者も、年配者も、みんな、あたかも自分たちが共に演奏しているかのように、振る舞うようになるのです。
 
 池田 胸を打たれました。聴衆を思うショーターさんの一念が、深く強く波動を広げていることが、伝わってきます。人間の一念の力は、無窮です。
 五十五年前(一九五六年)、二十八歳の私は、関西の同志と共に、「一支部で一カ月に一万一千百十一世帯」という折伏を成し遂げ、「まさかが実現」といわれる歴史を残しました。その時の私の祈りも、大阪中の内外の人が一人でも多く、この新たな民衆勝利の歴史に参加するようにとの一点にありました。
 大目的に向かって皆で邁進していく中で、人は自分一人の才覚や技量を超えた、巨大な力を発揮できるものです。集団の中に個性が埋没するのではありません。自分を信じ、良き仲間を信じて全力を出し切る時、個性はさらにまぶしく輝き出すのです。
 
 ハンコック 音楽においても、たとえその人の才能に限界があろうと、それにもかかわらず偉大なことをなす道は見出せると、私は信じます。
 たとえば、世界的に著名な歌手でも、最も心地よい声を持っているとはいえない人がいます(笑い)。
 しかし、彼らには、確かに、歌う力や、歌う際の誠実さ、それに伴う品性があります。たとえ、パズルのすべてのピースがそろっていないからといって、失望してはいけません。それがないから、音楽で素晴らしいことができないとは限らないのです。
 
 池田 それは万般に通じますね。
 人を育てるには忍耐が必要です。それぞれ性格も違う。性格や性分はなかなか簡単に変わらない(笑い)。
 三世変わらざるを性という言葉もあります。
 たとえば川をとってみても、その川幅や場所は変わらないかもしれない。しかし、よどみ濁った流れを、迸る清流に変えることはできます。
 人も止まることなく人間革命し、生命を浄化していくならば、それぞれの個性や性格を活かして、自分らしく価値を創造し、社会へ貢献していけるのではないでしょうか。
 
 ハンコック 私は今、どうしたら、ジャズが未来へ発展し続けられるか、ということに心を砕いています。
 世代やジャンルを超えて、積極的に他者と関わりながら、音楽をつくっていくことは、長年、ジャズ奏者として経験を積んできた者の責任だと思っています。
 そのためにも、できる限り多くのことを、若い人たちから学びたいのです。
 
 池田 尊いです。人の成長のため、幸福のためにとの心で行動する人は、自分が一番成長できるものです。
 仏法では、「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(御書1598ページ)と説かれます。
 なかんずく、青年の心に光を送っていくならば、未来を明るく照らしていくことができます。
 世界の情勢を見ても、政治や経済の次元だけでは、さまざまな利害の対立や軋轢は、どうしても避けられない。
 だからこそ、平和・文化・教育次元での青年の交流が、ますます大事になってきます。
 私も、お二人をはじめ、百九十二カ国・地域の「桜梅桃李」の同志とともに、いやまして、世界市民の心の連帯を広げていきたいと思っております。 (つづく)