小説「新・人間革命」 厳護50 2月7日

戸田城聖は、支部総会などで、大病や経済苦を克服した体験発表を聞くと、同志の功徳を祝福しながらも、よく、こう語った。
 「私の受けた功徳を、この講堂いっぱいとすれば、みんなの功徳は、ほんの指一本にすぎません。まだまだ小さなものです」
 戸田は、頑健な体や、技能、大資産をもっていたわけではない。彼は、本当の大功徳とは、相対的幸福ではなく、絶対的幸福境涯の確立にあることを教えたかったのである。
 山本伸一は、「諸法実相抄」講義で、祈るような思いで訴えた。
 「広宣流布のために、祈り、法を弘める、私どもの日々の活動こそが、一生成仏への道であり、三世にわたる絶対的幸福を確立する直道なのであります。
 どうか皆さんは、それこそが、人間として、最も尊い生き方であることを強く確信するとともに、最大の誇りとしていっていただきたいのであります」
 伸一の講義の反響は、大きかった。
 ――「目の覚める思いで、講義が掲載された聖教新聞を読みました。仏法の精髄に触れた思いがします」「創価学会員として信心に励むことのできる喜びを、しみじみと、かみしめました」などの声が続々と寄せられた。
 この「教学の年」(一九七七年)の伸一の講義は、「諸法実相抄」だけではなかった。教学理論誌の『大白蓮華』にも、一月号から「百六箇抄」講義の連載を開始した。
 さらに、この年は、六回にわたる「生死一大事血脈抄」講義のほか、「報恩抄」「法門申さるべき様の事」「撰時抄」「開目抄」などの講義が、相次ぎ聖教新聞紙上に掲載されていったのである。
 伸一は、日々、寸暇を惜しんで懸命に御書を拝し、思索に思索を重ねた。また、さまざまな会合で、御書を通して激励を重ねた。
 自分は、ただ号令をかけるだけで、行動を起こさなければ、何事も進むことはない。
 伸一は、自らの実践をもって、教学運動の新しい大波を起こそうとしていたのだ。