小説「新・人間革命」 厳護 51 2月8日

一月十五日、大阪府豊中市の関西戸田記念講堂には、全国から四千五百人の教授代表が集い、晴れやかに教学部大会が開催された。
 十二日の夜から、日本列島は寒波に見舞われ、積雪、レールのひび割れ、停電騒ぎ等が相次ぎ、列車などのダイヤは大幅に乱れた。
 しかし、この日の朝、大阪地方は、まばゆい陽光に包まれたのである。
 参加者は、「教学の年」の重要な行事となる教学部大会とあって、輸送機関の混乱をものともせずに、喜々として集って来た。
 山本伸一は、この大会を、「教学新時代」の幕開けにしようと決意し、自ら記念講演も行おうと、準備に力を注いできた。
 「教学新時代」とは、仏法の法理を現代社会に、世界に展開し、未来創造の新思潮を形成していく時代である。
伸一は、それには、教学上の一つ一つの事柄を、人間のための宗教という視座に立って、根源からとらえ直し、その意味を明らかにするところから、始めなければならないと考えていたのだ。
 教学部大会の式次第は進んだ。
 一月半ばという真冬にもかかわらず、場内には、新しい思想運動を起こそうとする、参加者の熱気が満ちあふれていた。
 最後に、伸一の登壇となった。皆、胸を躍らせながら、彼の話を待った。
 伸一は、参加者の労をねぎらったあと、一気に本題に入った。
 「仏教は、本来、革命の宗教なのであります。釈尊が仏教を興したのも、権威主義に堕し、悩める民衆の救済を忘れたバラモン教に対して、宗教を人間の手に取り戻すためであったことは、周知の事実であります。
 宗教のための人間から人間のための宗教への大転回点が、実に仏教の発祥でありました。仏教は、まさしく、民衆蘇生のための革命のなかから生まれたと言っても、過言ではないのであります」
 明快な語り口であった。誰もがそうだ!と思った。宗教が、儀式や権威のベールに包まれる時、その精神は衰退し、滅していく。