小説「新・人間革命」 厳護 52 2月9日

仏教は、民衆の蘇生をめざして出発したにもかかわらず、やがて、戒律主義に偏して、出家僧侶を中心とする一部のエリートの独占物となっていく。
 そんな仏教教団の在り方に対して、改革の烽火が上がり、釈尊滅後百年ごろ、仏教教団は分裂を招くことになる。従来の出家中心の保守的な「上座部」と、在家民衆に光を当てようとする、進歩的な「大衆部」に分かれていくのである。
 そして、仏教を、釈尊の精神という原点から問い直そうという、本格的な宗教革命の流れが起こる。大乗仏教運動である。自利的で、形式主義に陥り、民衆の苦悩から遊離した出家仏教に対して、民衆救済の仏教への流れがつくられていったのである。
 この仏教覚醒の大波が、インドから中国、さらに、日本へと広がっていくのである。
 山本伸一は、強く訴えた。
 「民衆のなかから生まれ、みずみずしく躍動した仏教が、沈滞、形骸化していった大きな要因のなかに、仏教界全体が出家仏教に陥り、民衆をリードする機能を失ったという事実があります。もともと仏教とは、民衆のものであり、出家たる法師もまた、民衆の指導者の意味であったのであります」
 伸一は、釈尊の仏法が変質し、衰退していった要因を明らかにすることによって、日蓮仏法が、決して同じ轍を踏むことがないよう、戒めとしたかったのである。
 その仏法興廃のカギを握ってきたのが、衆生を導く「法師」の存在である。ここで彼は、日寛上人の「撰時抄愚記」を引き、「法師」について論じていった。
 「『大法師』とは、今はいかなる時かを凝視しつつ、広宣流布の運動をリードし、能く法を説きつつ、広く民衆の大海に自行化他の実践の波を起こしゆく存在なのであります。
 そのためには、時代の激流を鋭く見極め、時には、民衆の盾となり、民衆と共に、仏法のために戦いゆくことが、法師の必要条件となるのであります」