小説「新・人間革命」 厳護 53 2月10日

山本伸一は、自ら「法師」の尊い姿を示された方こそ、御本仏・日蓮大聖人であることを述べた。そして、「法師」の在り方を示された、大聖人の御指導を拝した。
 「受けがたき人身を得て適ま出家せる者も・仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり」(御書一三八六ページ)
 僧となりながら、勇気の実践なく、怠惰に流されていった者は、法師の皮を着た畜生であり、仏法の体内から、仏法を滅ぼしていくことへの、警鐘を鳴らされているのだ。
 「末法法華経の行者は人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧とす、又経を弘めて人を利益する法師なり」(同五五六ページ)
 末法法華経を行ずる大乗の僧は、人に憎まれ、大難を受け、果敢に戦いを続ける人なのだ。また、弘教に挺身し、民衆の救済に生き抜いていかねばならないと仰せなのだ。
 それに対して、在家の在り方については、次のように述べられている。
 「然るに在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて僧をも供養し給うが肝心にて候なり、それも経文の如くならば随力演説も有るべきか」(同一三八六ページ)
 僧侶は、専ら折伏に徹し、三類の強敵と戦い、広宣流布せよと言われているのに対して、在家は、ひたすら題目を唱え、供養し、力にしたがって仏法を語るべきであると言われているのだ。いわば、在家には、側面からの応援を託されているのである。
 これらの御文を紹介したあと、伸一は、力を込めて語った。
 「この在家と出家の本義に照らしてみるならば、現代において創価学会は、在家、出家の両方に通ずる役割を果たしているといえましょう。これほど、偉大なる仏意にかなった和合僧は、世界にないのであります」
 現代において、誰が広宣流布を推進してきたのか。誰が法難を受けてきたのか――創価学会である。ゆえに、学会は、その精神、実践においにおいては、出家、法師といえよう。