小説「新・人間革命」 厳護 54 2月11日

山本伸一は、さらに「出家」の真意について掘り下げていった。
 もともと「出家」とは、「家を出る」と書き、名聞名利の家を出て、煩悩の汚泥を離れる、との意味である。剃髪は、仏道を究めるまで、二度と家に帰るまいとの決意のしるしであった。
 大乗経典の大荘厳法門経には、出家について、次のようにある。
 「菩薩の出家は自身の剃髪を以て名けて出家と為すに非ず。何を以ての故に。若し能く大精進を発し、為めに一切衆生の煩悩を除く、是を菩薩の出家と名く。
自身染衣を被著するを以て名けて出家と為すに非ず。勤めて衆生三毒の染心を断ず。是を出家と名く」(注)
 菩薩とは、一切衆生の救済のために修行する人をいう。その菩薩の出家とは、ただ自分が髪を剃ることを出家というのではない。
では、何をもってそう呼ぶのか。大精進を起こして、一切衆生の煩悩を取り除く――これを菩薩の出家というのである。
 僧侶の衣を着ることを出家というのではない。力を尽くして、貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろか)の三毒に、衆生の心が染まっていくことを断じていく――これを出家というのだ、との意味である。
 形式ではない。どこまでも、民衆の真っただ中に飛び込み、人びとの苦悩をわが苦悩として戦うなかにこそ、真実の出家の道があるのだ。
人びとを救うために何をするのか、何をしてきたのかこそ、問われねばならない。
 伸一は、こうした考察を述べたあと、参加者に力強く呼びかけた。
 「私ども学会員は、形は在俗であっても、その精神においては、出世間の使命感をもって、誇りも高く、仏法流布のために、いよいよ挺身してまいりたいと思うのであります」
 盛んな賛同の拍手が鳴り響いた。
 仏教の原点に立ち返るならば、権威や形式の虚飾が剥ぎ取られ、一切の本義が明快に照らし出されていく。参加者は、赫々たる太陽の光を浴びる思いで、伸一の話を聴いていた。
 
■引用文献  注 泉芳ケイ・田島徳音訳『国訳一切経印度撰述部 経集部十二』大東出版社=現代表記に改めた。