小説「新・人間革命」 厳護 55 2月12日

山本伸一は、次いで、寺院の起源から、その意義について論じていった。
 ――釈尊の化導方式は、「遊行」であり、全インドを歩きに歩き、民衆のなかで仏法を説いた。
 ところが、インドには雨期がある。一年のうち、三カ月間は遊行できない。その間、弟子たちは、一カ所に集まって修行に励んだ。その場所が、舎衛城の祇園精舎や、王舎城の竹林精舎など、「精舎」である。
そこは、文字通り、修行に精錬する者のいる舎であり、これが、寺院の原形となるのである。
 修行し、研鑽を深めた僧たちは、雨期が過ぎれば、また、各地に散っていった。つまり、当時の精舎は、現在の寺院のように、僧職者が、そこに住み、宗教的儀式を執り行うためのものではなかった。
いわば、修行のための「拠点」であったのである。
 後にインド仏教の中心となったナーランダー寺院では、研鑽も充実し、一種の大学の機能を果たしていた。
各地から修行者が集まり、起居をともにしながら、仏教の教義、布教の在り方などを学び、一定の期間を終えると、各地に戻っていったのである。まさに、現代の学会の講習会、研修会を彷彿とさせよう。
 寺院を意味する「伽藍」は、僧伽藍摩(サンガーラーマ)の略で、仏道修行に励む人びとが集まる場所であったことに由来している。
また、寺院は、そこに集って仏道修行にいそしみ、成道をめざす場であったことから、「道場」ともいうのである。
 伸一は、寺院本来の意義を明らかにし、大確信を込めて訴えた。
 「創価学会の本部・会館、また研修所は、広宣流布を推進する仏道実践者が、その弘教、精進の中心拠点として集い寄り、大聖人の仏法を探究するところであります。
そして、そこから活力を得て、各地域社会に躍り出て、社会と民衆を蘇生させていく道場であります。すなわち、寺院の本義からするならば、学会の会館、研修所もまた、『現代における寺院』というべきであります」