小説「新・人間革命」 人間教育10 2月26日

各部大ブロック幹部の勤行会は、山本伸一をはじめ、最高幹部が出席して、全国で開催されていった。
 伸一は、二月一日には、武蔵野、立川、西多摩、村山などの代表が参加して、広宣会館で行われた、第二東京本部の婦人部大ブロック担当員勤行会に出席した。
 彼は、生老病死という四苦は、避けることのできない理であるが、仏法では、「現世安穏、後生善処」(現世安穏にして、後に善処に生ず)と説いていることに言及した。
 「人は、老いも、病気も、死も避けることはできない。では、だから、不幸になるのかというと、決してそうではありません。
 病や老いなどの苦悩はあっても、それに打ちのめされない、負けない心、強い心、広い心、豊かな心を培っていけばいいんです。それができるのが、信心なんです。
そこに『現世安穏、後生善処』への道が開かれるんです。
 仮に、年老いて体が不自由になったとしても、自らの心を磨き、鍛え、広宣流布の使命に生き抜こうとする人には、充実があり、日々、湧きいずる歓喜があります」
 日蓮大聖人は、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ」(御書一一四三㌻)と仰せである。
 この「苦をば苦とさとり」とは、苦悩から目をそらすのではなく、仏法の眼を開き、真正面から向き合って、現実を達観していくことである。
すると、病も、老いも、決して単なる苦しみではなく、信心を奮い起こし、深めるための契機であることが自覚できよう。また、病み、老いゆく姿のなかにも、仏法を証明しゆく使命の道があることに気づく。
 「楽をば楽とひらき」とは、得られた安楽を、さらに、常楽へと開いていくのだ。それには、御本尊への感謝をもって唱題に励み、自らの境涯を高め、絶対的幸福境涯を確立していくのだ。
ともあれ、苦しい時も、楽しい時も、常に、題目を唱えきっていくなかに、崩れざる幸福の大道があるのである。