小説「新・人間革命」 人間教育35 3月28日
木藤優は、やがて、“壁”に突き当たった。担任した五年生のクラスで、学校を抜け出す児童が、後を絶たないのだ。男子二十五人のうち、十五人ぐらいがいなくなってしまうこともあった。
捜しに行くと、近くの河原でたむろしていた。
また、シンナーを吸う子もいた。
木藤には、“自分は、心理学を学んできた。だから、子どもたちを変えられる!”という自負があった。仕事に情熱を注いだ。
市の教育研究所の研究員として、教育相談や心理療法の研究にも携わった。
ほかの先生の宿直も進んで引き受け、宿直室に泊まり込んで、仕事をする日が続いた。
夜、「ガシャン! ガシャン!」と大きな音がする。見に行くと、窓枠は壊れ、ガラスが散乱し、コンクリートの塊や石が、校舎に投げ込まれていた。悪質ないたずらだ。
貧しさから空腹に耐えかね、万引する男子児童もいた。警察に引き取りに行き、しばらく自分の部屋で一緒に暮らしたこともあった。
悪戦苦闘の日々が続いた。彼は疲れ果て、身も心も、ぼろぼろになっていた。
ある時、一人の女の子が言った。
「先生は、なんでも相談にのってくれるし、学校中で一番熱心な先生だけど、みんなから嫌われているよ。近寄ると“忙しいんだ。来るな!”っていう目をしているよ」
教師としての自信が砕け散った。
“結局、何もできなかった……”
かつて、学会員の学友が、「自分の無限の力を引き出していくのが仏法であり、自身の人間革命があってこそ、周囲の人を変えることもできる」と語っていたことを思い出した。
ちょうど、そのころ、その友人から電話がきた。木藤は友人と会い、入会を申し出た。
学友の仏法対話は、五年後に結実したのである。下種をすれば、必ず、いつかは実を結ぶ。たとえ、その時は、関心を示さずとも、仏法を語り抜いていくことが大事なのだ。
「聞法を種と為し、発心を芽と為す」(注)とは、妙楽大師の言である。
■引用文献 注 妙楽大師の言葉は、『日寛上人文段集』聖教新聞社