小説「新・人間革命」 人間教育36 3月29日

入会した木藤優の面倒をみてくれたのは、紹介者である学友の母親イネさんであった。彼女は、平凡な主婦であったが、幾つもの病を乗り越えた体験をもち、限りなく明るく、仏法への確信に満ちあふれていた。
 そのイネさんが、木藤に、信心の基本から、根気強く教えてくれたのである。
 彼が、仕事で、会合などに出席できず、深夜に帰宅すると、アパートのドアに、励ましのメモが挟んであった。
 「心配しています。あなたは大事な使命をもった人です。何があっても、負けずに頑張ってください」
 イネさんは、会えば、木藤の話に、じっくりと耳を傾けてくれた。彼が、子どもと上手に関われたことなどを話すと、「そう、よかったね。頑張ったわね」と、わが事のように喜んでくれるのである。
また、彼のわずかな変化も見逃さず、「最近、明るくなったね」と、声をかけてくれた。
 木藤は、イネさんに接すると、心から安堵することができた。また、自然に元気が出てくるのである。
 なぜなのかと、考えた。
 ――イネさんは、自分を心の底から信頼し、全生命を注いで、励ましてくれる。幸せと成長を、本当に願ってくれている気持ちが、びんびん伝わってくる。だから、会えば安堵もするし、元気も出るにちがいない。
 そして木藤は、それこそが、教師として、自分に足りなかったものではないかと思えるのであった。
 ぼくは、優れた教師になろうと懸命に努力してきたつもりであった。しかし、子どもたちのことを、皆、尊い使命をもった人なのだと、信じていただろうか。
皆を幸福にするのだという一念はあっただろうか……。子どもの心を離れて、有能な教師になろうとしていたのではないか。結局、自分のエゴにすぎなかったのではないか
 どこまでも、子どもの幸せを願う心こそ、教育の根幹をなす精神といえよう。