小説「新・人間革命」 灯台 12 5月3日

仏法は、生活法である。
社会にあって信頼を勝ち得、職場で勝利の実証を打ち立てていくことが、そのまま人生の勝利へ、仏法の勝利へとつながっていくのだ。
 したがって、社会で、はつらつと、縦横無尽に活躍していくことが大切なのである。
 山本伸一は、包み込むように語りかけた。
 「社会では、さまざまな付き合いや、他宗の儀式の場に参加しなければならない場合もあるでしょう。
しかし、窮屈に考え、自分を縛るのではなく、賢明に、広々とした心で、人間の絆を結んでいくことが大事です。
日蓮仏法は、人間のための宗教なんです。
 信心をしているからといって、社会と垣根をつくり、偏狭になってはいけません。また、信心のことで、家庭や職場で争ったりする必要もありません。
それでは、あまりにも愚かです。長い目で見て、家族も、職場の人びとも、温かく包み込みながら、皆を幸せにしていくのが、仏法者の生き方です」
 日蓮教団は、ともすれば、排他的、独善的で、過激な集団ととらえられてきた。事実、日蓮主義を名乗り、テロなどに結びついていった団体もあった。
それは、万人に「仏」を見て、万人の幸福を実現せんとした、日蓮大聖人の御精神を踏みにじる暴挙である。
そこには、社会を大切にしていくという「仏法即社会」の視座の欠落がある。
 伸一は、最後に、「常識を大切に」と訴えていった。
 「非常識な言動で、周囲の顰蹙を買う人を見ていると、そこには共通項があります。
 一瞬だけ激しく、華々しく信心に励むが、すぐに投げ出してしまう、いわゆる〝火の信心〟をしている人が多い。
信仰の要諦は、大聖人が『受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり』(御書一一三六㌻)と仰せのように、持続にあります。
 職場、地域にあって、忍耐強く、信頼の輪を広げていく漸進的な歩みのなかに、広宣流布はある。
いわば、常識ある振る舞いこそが、信心であることを知ってください」