小説「新・人間革命」 灯台 17 5月10日

智慧の眼を開き、新しい視点で物事を見る時、新しい世界が開かれる。この智慧の眼を開く力こそ、仏法である。
 中山勇は、経理という仕事を、単に数字を扱う事務作業とは考えず、経営管理ととらえていた。その視点で数字を見ると、会社の問題点もわかり、未来も予測できた。
 彼は、自分が、この会社の責任者であるとの思いで、仕事に臨んだ。会社という組織の歯車であるなどという考えは捨てた。そうした考えでは、自分の思考を狭くし、全体観に立った責任ある仕事はできないからだ。
 中山は、独学でコンピューターの勉強も始めた。近い将来、コンピューター時代が到来すると確信しての、自己研鑽であった。
 その後、中山の会社も、コンピューター導入に踏み切る。彼が着実に重ねてきた研鑽が、大きく役立ったのである。さらに後年、彼は、役員に就任することになる。
 アメリカのケネディ大統領は「過去だけをたよりにする人々は、必ず未来を見落すことになる」(注)と指摘していた。
 いわば、時代の流れを読む目を培い、変化を先取りしていくことだ。それには、情報の収集や新しい知識の習得を絶えず心がけ、勉強を重ねていくことだ。
 現状に甘んじ、勉強を怠れば、職場で勝利の旗を掲げ抜くことはできない。社会に出れば、学生時代以上に勉強が求められる。日々努力、日々研鑽、日々工夫なのだ。
 そして、その根底には、確固たる経営の理念、生き方の哲学がなければならない。そうでなければ、時流に踊らされ、流されていってしまうことになりかねないからだ。
 日本は、一九八〇年代後半から九〇年代初頭にかけて、「バブル」の時代が訪れる。本業を忘れ、株や土地の買い占めに走った企業も少なくなかった。
しかし、やがて、株価や地価は暴落する。もともと投機によって生じた、実体経済とは異なる景気である。瞬く間に経済は崩壊を招き、企業の多くが、大打撃を受けたのである。
 
■引用文献:  注 ケネディの言葉は、「フランクフルト演説」(『絶叫するケネディ』所収)高村暢児編、学習研究社