小説「新・人間革命」 灯台 21 5月14日

後に大手スーパーの常務取締役となる波留徳一も、仕事と学会活動の両立で、苦闘し続けてきた一人であった。
 山本伸一が出席して、社会部の勤行集会が行われた一九七七年(昭和五十二年)二月、三十九歳の波留は、店舗施設部長代理の要職にあり、学会にあっては、名古屋市南区の区長として活動の先頭に立っていた。
 各スーパーは、店舗数の拡大に乗り出し、熾烈な競争が展開されていた時である。店のイメージで、売り上げは大きく左右する。波留は、店舗の設計、建設、インテリアなどの責任を担っていたのである。
 ――彼は、デザイン会社に勤務していた六一年(同三十六年)に福岡で入会。
やがて名古屋に移り、スーパー業界に飛び込んだ。急成長を遂げる業界にあって、生命線を握る出店の仕事に従事した彼は、多忙さに流され、信仰の世界から遠ざかっていった。
 波留は、随所で行き詰まりを感じ始めた。
 店舗づくりのアイデアの枯渇、自信喪失、心身の疲弊、仕事への意欲も失っていった。
 その苦しさを紛らすために酒に溺れた。体調も崩し、円形脱毛症にもなっていた。妻との喧嘩も絶えなかった。迷路をさまようような日々が続いた。
 そんな彼のもとに、男子部の先輩が、何度も、何度も、足を運んでくれた。
 先輩は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書二五四㌻)との御聖訓を引いて訴えた。
 「この御文は、『天が晴れるならば、大地は自然に明るくなる。同様に法華を識る者、つまり、妙法という一切の根源の法を体現された大聖人は、世の中の事象も、当然、明らかに知ることができる』という意味だよ。
 『天が晴れる』というのは、ぼくらの立場で言うならば、一点の曇りもない、強盛な信心だ。強い信心に立てば、『大地』すなわち仕事も含めた生活の面でも、おのずから勝利していくことができる。だから、もう一度、信心で立ち上がるんだよ」