小説「新・人間革命」 灯台 24 5月18日

山本伸一は、社会部のみならず、地域、社会に根を張る社会本部の各部メンバーを、徹底して激励しようと、深く心に決めていた。その人たちこそが、広宣流布という社会の繁栄を実現していく原動力となるからだ。
 二月十七日、伸一は、全国の農村部、団地部の代表メンバーが創価文化会館内の広宣会館に集って開催された、第一回「農村・団地部勤行集会」に出席した。
 旧習の深い地域で奮闘する農村部の友を、また、人間関係が希薄になりがちな団地で、信頼と友好を広げる団地部の友を、ねぎらい、讃え、励ましたかったのである。
 農村部と団地部が結成されたのは、社会部と同じく、一九七三年(昭和四十八年)十月二十四日の本部幹部会の席上であった。
 この年、世界は、深刻な食糧不足に脅かされていた。
 前年の七二年(同四十七年)から七三年にかけて、ソ連、インド、中国、東南アジア、オーストラリア、西アフリカ諸国などが旱魃となり、カナダやヨーロッパは寒波に襲われた。
また、アメリカのミシシッピ川流域、バングラデシュは長雨から洪水が発生するなど、異常気象が続いたのである。これによって、各国の穀物をはじめとする農産物に、甚大な被害が出たのだ。
 十一月に開催されたFAO(国連食糧農業機関)総会でも、七三年の世界の食糧事情は、第二次世界大戦の直後以来、最悪の事態となったことが報告されている。
 世界的な穀物不足によって、七、八月、シカゴ商品取引所では、小麦、大豆、トウモロコシの相場は、なんと一年前に比べ、二倍から三倍という異常な高値を記録した。
 日本は、米以外の穀物の大多数を輸入に依存してきただけに、小麦、大豆、飼料などの高騰は、食料品の値上げとなって、国内物価に波及し、国民生活を圧迫したのである。
 天災という非常事態が生じた時こそ、政治の真価が問われる。対応を誤れば、天災は人災となって不幸を増幅させてしまう。