小説「新・人間革命」 福光2 2011年 9月2日
車窓に広がる風景は、まだ、冬の眠りから覚めず、枯れ草の茂みが風に揺れ、灰褐色の地肌をむき出しにした田畑が広がっていた。
?今年は、豊作だろうか……?
山本伸一は、田植え前の、水のない田んぼを見ながら、心で題目を唱えた。
前年の一九七六年(昭和五十一年)、日本は、冷夏や台風の影響で、米が戦後五番目の不作となっていた。
特に、東北、北海道を中心に、八月から九月にかけて低温の日が続き、収穫量が激減。多くの農家が辛酸をなめたのである。
十一月、農林省(当時)がまとめた農作物の冷害被害状況によれば、被害総額は四千九十三億円に達し、北海道が八百六十一億円、岩手県三百六十一億円、宮城県三百二十四億円、新潟県三百十三億円、青森県三百九億円、福島県二百八十五億円などとなっていた。
さらに、十二月から二月にかけて、日本は強い寒波に襲われた。東京でも一月の平均最高気温は七・五度にとどまり、戦後最低を記録。
北海道の幌加内町母子里では、零下四〇・八度という、戦後の日本最低気温を記録している。
この寒波による大雪で、国鉄(現在のJR)では、二万九千本以上が運休となった。
また、寒波の影響は、農作物にも被害をもたらし、野菜の生育が遅れ、一時期、価格が急上昇した。
特にキャベツは、二月には、前年秋の六倍にまで高騰したのだ。東北は、この寒波でも、大きな影響を受けたのである。
伸一は、思った。
だからこそ、その宿命を転換し、どこよりも栄え、どこよりも幸せになっていただきたい。
その夜明けを告げる東北訪問にしよう!